最初に伊藤ニーナに会ったのは、恵比寿のスタジオだった。

 萩庭桂太はTHE FACTOY というスタジオでいろんなモデルさんのテストシューティングをしており、そこへニーナが来てくれるんだという。しばらく撮影風景を見ていたが、まあ美女にもいろいろいるものだなと感心した。平成原色美女図鑑モデル編ってとこか。

 私は大昔、女子大生時代に小さなファッション・ショーの司会のバイトもしていたので、関西のモデルはいろいろ見たが、さすがに東京はレベルが高い。もっとも、27、8年前と比べれば、そりゃあ女の子たちの手足もいっそう長くなっているというものではあるが。

 そこへ、伊藤ニーナが現れた。

 もうすぐ20歳だというが、堂々たるプロポーションである。顔にもとても存在感がある。どうやらハーフらしい。そりゃそうか。ニーナ、ってカタカナですもんね。

「父がアメリカ人。フランスとかトルコが混じっているらしいです。私は5人きょうだいの4番目。長女と私はフランス系、一つ上の姉はトルコ系、兄と妹はアメリカ系、かな」

 今はモデル事務所に所属し幻冬舎の女性誌『GINGER』の撮影のために月に一度、10日間から2週間、福岡から上京しているのだという。

「プロのモデルになってみて、どうですか」

 私が尋ねると、最初はちょっとだけはにかみながら答えてくれた。

「いろいろな洋服を着られるのは楽しいし、大人の人に囲まれて、大人の話を聴くのも好きです。ヘアメイクさんやスタイリストさんたち、プロの手によってかわいくなるというのもすごく楽しい!」

 話しぶりはとても自然で、打ち解けるスピードが早い人だな、という印象をもった。5人きょうだいの4番目ともなれば、子どもの頃からいろんな人を見ているし、生存競争も激しかったのではないかと想像する。

 では萩庭桂太が審査員を務めたというオーディションの時の話を、そろそろ聞いてみようかな。

  • 出演:伊藤ニーナ

    1992年福岡県生まれ。2011年に「GINGERスターオーディション モデル部門」でグランプリを受賞。専属モデルとして活躍中。T168 B81 W58 H88 (株)テンカラット所属。

  • 取材・文:森 綾

    1964年8月21日大阪市生まれ。スポニチ大阪文化部記者、FM802開局時の編成部員を経て、92年に上京後、現在に至るまで1200人以上の有名人のインタビューを手がける。自著には女性の生き方についてのノンフィクションが多い。『キティの涙』(集英社)の台湾版は『KITTY的眼涙』(布克文化)の書名で現在ベストセラー中。
    http://blogs.yahoo.co.jp/dtjwy810

取材協力:THE FACTORY http://the-factory-tokyo.com/
撮影:萩庭桂太