さて2週に渡ってご愛読いただいた台湾特集も、本日が最後。

 トリを飾ってもらうのは、77歳の人間国宝。台湾オペラの歌い手である。

 出発前から私が一番楽しみにしていたのは、この人に会うことだった。

 萩庭桂太は「まあ、人間国宝の取材もあるしさ」と、私がキレそうにな顔をするたびに慰めた。珍しいなあ。そんなツテがあるなんて、と私は一瞬、尊敬しそうになった。

 またしても大間違いだった。

 彼女の名前は廖瓊枝(リャオ・キンキィ)。実は今回の台湾取材でメイン・コーディネーターを務めてくれたキヤマくんの実のおばあさまだったのである(キヤマくんは、皆様のご想像通り、写真のなかでニット帽をかぶっている可愛い男のコです)。

 なんでもリャオさんは3年前のワールドツアーを最後に引退されており、現在は後進の指導に全力を注がれているという。そのツアーは日本の浅草公会堂でも行われた。その時の写真を見せていただくと、正直申し上げて中国の「京劇」と見分けがつかない。まずはそのあたりの違いから教えていただこう。

「台湾のオペラである歌仔戯も、もともとは京劇と同じところから来ていますが、独自に発展し、110年の歴史があります。京劇は北京語なのに対し、歌仔戯は台湾語。言語だけでなく歌い方も違います。一度目は日本統治時代に、二度目は終戦後、ブームになりました。ブーム時には300以上の団体があったようですが、現在は100~200の団体が残っています」

 リャオさんは民国34年の昭和10年代、14歳の頃にこの世界に入った。当時はリャオさんの家は大変貧しく、幼い彼女自身も朝は朝ご飯、昼はアイスクリーム、夜はお菓子を売って生活していた。裸足で、靴が買えない。夏場はアスファルトから真っ黒なコールタールがしみ出し、足についてとれない。

「歌仔戯の劇団に入ると、刺繍のある靴をもらえる。住み込みになれば、ご飯も食べられる。私は両親だけでなく祖母までも亡くし、孤児だったのです」

 朝の6時にストレッチ、基礎体力のトレーニングが始まり、9時には歌の練習が始まる。

「厳しかったです。間違えるとムチのようなもので打たれました」

 それでも彼女は辞めようとは思わなかったという。なぜなら帰る家がなかったからだ。

 すべての訓練が終わった役者は、そのキャラクターに応じて苦旦(哀しい役)、花旦(お茶目で可愛らしい役)、彩旦(ユーモラスな役)、武旦(勇ましい役)に振り分けられる。彼女は歌唱力を求められ、歌う場面の多い「苦旦」のヒロインとなっていった。

「その人が経てきた人生や性格が声になり、歌になる。泣いているかのように歌う詠嘆調が私にはぴったりだった。私はいい生活を知らなかったから。それを恨むのではなく、苦い思いをしてきたことが生かせるのだと思った。演じている役に自分が入り込むことで自分を解き放てたという面もあると思います」

(取材・文:森 綾)

【後編】 「写真って、撮ろうとして撮らなくてもいいと思うんだよね」

  • 出演:廖瓊枝(リャオ・キンキィ)

    1935年11月13日台湾の基隆生まれ。台湾のオペラ役者で人間国宝。4歳の時に母をなくし険しい道のりを経て14歳で台湾オペラ(歌仔戲)の道へ入る。2009年に引退を宣言し、ワールドツアーを行った。日本では浅草公会堂などでも公演を行ない、現在は国立台湾戯曲学院歌仔劇クラス、国立台北芸術大學、国立台中教育大學、國立政治大學の教授を務める傍、「財団法人廖瓊枝歌仔戲文教基金會」設立し歌仔劇の伝統継承、保存に務めている。
    http://youtu.be/vg2odTbnaFI (公認)

  • 取材・文:森 綾

    1964年8月21日大阪市生まれ。スポニチ大阪文化部記者、FM802開局時の編成部員を経て92年に上京後、現在に至るまで1200人以上の有名人のインタビューを手がける。自著には女性の生き方についてのノンフィクション『キティの涙』(集英社)、『マルイチ』(マガジンハウス)など多数。
    映画『音楽人』(主演・桐谷美玲、佐野和眞)の原作となったケータイ小説『音楽人1988』も執筆するほか、現在ヒット中の『ボーダーを着る女は95%モテない』(著者ゲッターズ飯田、マガジンハウス)など構成した有名人本の発売部数は累計100万部以上。
    http://blogs.yahoo.co.jp/dtjwy810

コーディネート・ブッキング:木山善豪(OFFICE303) http://www.office303.jp
協力:エバー航空 http://www.evaair.com/html/b2c/japanese/
ロケ地:孔子廟/廖瓊枝基金會

撮影:萩庭桂太