その人を知るには生い立ちを知るのが何よりである。ビビアン・クオはどうやって出来上がったのだろうか。

――生まれ育ちはどこですか。

 父親の仕事の関係で、8歳までニュージーランドのオークランドで育ちました。家族で住んでいました。ニュージーランドは羊だらけだった。羊と私、雰囲気が近い、いつも眠そう(笑)。することがなかったです。学校から帰ってきて、家でぼーっとしていました。台湾に戻ってからは、アメリカンスクールに通いました。ずっとニュージーランドにいて漢字が書けなかったから。今も勉強しているけど、まだ漢字は中学生くらい。

――今は日本語もすごく上手ですよ。その後、ニューヨークにある美術大学に行くわけですね。絵が好きだった?

 はい。子どもの頃から絵を描くのが好きで、イラストレーターになりたかった。今もキャラクターを描くのが好き。友達は私の描くキャラクターを「キモカワイイ」と言いますが。アート系の仕事をしたいと思っていました。今のモデルの仕事もそういう仕事だと私は思ってます。

――日本に来たのはどうして?

 おじいちゃんやおばあちゃんの影響がありました。それから、子どもの頃から日本のテレビアニメを見ていました。『ちびまる子ちゃん』とか。日本に来たかったので、ニューヨークから台湾に戻ってから、日本語学校に通うために来ました。日本に来て2年半です。

――モデルの仕事はいつからですか。

 半年くらい前から本格的に。最初はバイトで始めました。

――それは自分のことを「きれいだな」と思ったから?

 全然。友達に紹介されたから。子どもの頃から自分をきれいだと思ったことはありません。昔からシャイな性格で、自分の顔を見ないようにしていました。結構変わってます(笑)。ニュージーランドにいたとき、オリエンタルな子がいなかったというのもあるし、ママにずっとおかっぱにされていて、私は鏡を見ると自分のことを「きのこ」だと思っていました。台湾に帰ってやっと普通の髪型にさせてくれて、普通の女の子になれました。

(取材・文:森 綾)

Pierced Earring:SAMANTHA WILLS/JACK OF ALL TRADE
Dress:THOMAS WYLDE/M inc
Collar:Cil/VITA show room

  • 出演:ビビアン・クオ

    1988年9月29日台湾生まれ。H169 B81 W60 H89。モデルとしては「In Red」などの日本の雑誌のほか、「FUNSWANT」など台湾の雑誌でも活躍。CFはNOTTV、JR東日本はさぶさ、SONY PS vita、ユニクロ、東芝25th anniversary Notebook(アジア盤)などに出演。
    Model Agency Friday http://www.fridayfarm.net

  • 取材・文:森 綾

    1964年8月21日大阪市生まれ。スポニチ大阪文化部記者、FM802開局時の編成部員を経て92年に上京後、現在に至るまで1200人以上の有名人のインタビューを手がける。自著には女性の生き方についてのノンフィクション『キティの涙』(集英社)、『マルイチ』(マガジンハウス)など多数。
    映画『音楽人』(主演・桐谷美玲、佐野和眞)の原作となったケータイ小説『音楽人1988』も執筆するほか、現在ヒット中の『ボーダーを着る女は95%モテない』(著者ゲッターズ飯田、マガジンハウス)など構成した有名人本の発売部数は累計100万部以上。
    http://blogs.yahoo.co.jp/dtjwy810

  • ヘア:Koji Ichikawa

    http://www.kojiichikawa.com
    SEPT(office) http://www.office-sept.com

  • メイク:Sakamoto Yoshiko (坂本よし子)

    http://www.akamg.com/sakamotoyoshiko.html
    A.K.A(office) http://www.akamg.com

衣装協力:
JACK OF ALL TRADE http://jackofalltrades.jp/v2/
M inc http://www.mincnim.com
VITA showroom http://www.vita-showroom.jp

撮影:萩庭桂太