約4年半前から続くコロナ禍や2年半前に始まったウクライナ紛争、そしてガザとイスラエルで日々起こる悲劇に接して、気付いたことがたくさんある。平穏な日常は偶然が重なっていただけのガラス細工、とか。今まで無意識に受け入れてきた情報のウサン臭さとか。本当に大切なものは、これだったんだ、とか。人間はどこまで愚かなのだろう、とか。
「僕ら芸能に携わる者にとって大事なことは、政治的なイデオロギー、どちらが正しいか、ではなくて、やはり、ひとりの命が喪われるということはひとつの宇宙が喪われるに等しいということ。そのことを止めることができないということの、この歯がゆさです。その引き金がどこにあって誰が悪い、というのではなくて、それを止められない人類とは何なのか? それをちゃんと考えるべきであって、毎日のように死んでいく人たちがいるこの世界が発する叫びに、演劇人であれ、画家であれ音楽家であれ、なんらかの形で応えるべきだと思う。それにはどうすればいいのか、何もできないにしても、人間の生き方の根底にいつも、どこかでひっかかっていないとダメだろうと」
 ではこの無力感を、どうすればいいのか。
「戦争が止まらない。けれど、戦争はするべきじゃないという理想主義を掲げること。あるいは、ひとりの子どもの死を悼む心、しか、それを止める力はない。それをどう結集できるかに、尽きると僕は思います、どんなに遠回りであっても。それはもう、無力です、無力なんですが」
 ここで笠井さん、声を振り絞った。
 古典を現代にどう繋げるか、そして無力だという悲痛な思いは、笠井さんの次の仕事への、原動力。この先もやりたいことは、たくさんある。
「まあまあ、そういうことばかりです。だけど自ずからね、年齢というものを考えないといけない。しかも僕は間質性肺炎という病気で、治療法が確立していない病気なので、今のところ僕は薬も止めたし、仕事をしているだけです。仕事が一番の薬だと思って(笑)」
 9月15日には高野山の壇上伽藍、金堂特設能舞台で、笠井さん作・演出の新作能『空海』が披かれる。他にもいろいろ、笠井さんが今に繋げる舞台は、多くの人に待ち望まれている。
「世阿弥はね、〝命には終わりあり、能には果てあるべからず〟って言ってます。若い世代の人たち、その人たちが何かをやろうとするときに、それに対してなんらかの責任と、種を蒔いておく必要は、あるかなって気がする。どんどん時代は変わっていくし、好みも変わっていく。変わっていって良いのだけれど、しかし本質的なものは、そんなに変わらないのでね。やはり人に感動を与えるのは、人類が積み上げてきた、魂から出てくるような言葉でないと。
 お能が、ある意味、世界の演劇に影響を与えているのは、死という眼差しで生を見返すからです。生きている時間がすべてだから、あれをやりたい、これもやりたい。そうです、そう思って生きて行く。しかし死という視点で見ると、じゃあ自分の一生はなんだったのか。今ここで死んだら自分の一生は何をなしえたのか。そういうフィルターで見ると、余計なものが消えていく。自分にとって一番大事なものが何だったのか、見えてくる。その方法論が能の培って来たドラマツルギーであり、演劇の、ある意味本質なんです」
 連日連夜、TVでも映画でも舞台でも配信でも、たくさんのドラマが消費されていく。本でもリスニングでも、物語は頭の中に流れ込む。その中から何を見て、何を受け取り、何が私たちの心に積み重なっていくのか。どうしてそれが必要なのか。どんな栄養になっているのか。今週のYEOは、深かった!

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2024年9月15日(日)18:00開演
新作能「空海ー万燈万華の祈り」
高野山金剛峯寺壇上伽藍金堂前特設能舞台
https://204e37d3fb9a011.lolipop.jp/schedule.html

  • 出演 :笠井賢一 かさい けんいち

    劇作家、演出家、能楽プロデューサー。1949年生まれ。銕仙会(能・観世流)プロデューサーを経て、アトリエ花習主宰。古典と現代をつなぐ演劇活動を、能狂言役者や現代劇の役者、邦楽、洋楽の演奏家たちと続けている。玉川大学芸術学部、東京藝術大学美術楽部の非常勤講師を務めた。主な演出作品に、石牟礼道子作・新作能『不知火』、多田富雄作・新作能『一石仙人』東京藝術大学邦楽アンサンブル『竹取物語』『賢治宇宙曼荼羅』、北とぴあ国際音楽祭オペラ『オルフェーオ』、アトリエ花習公演『言葉の力―詩・歌・舞』創作能舞『三酔人夢中酔吟―李白と杜甫と白楽天』など。編著に『花供養』(多田富雄・白州正子著)『芸の心―能狂言 終わりなき道』(野村四郎・山本東次郎著)『梅は匂ひよ 桜は花よ 人は心よ』(野村幻雪[四郎改]著、『芸能の力・言霊の芸能史』以上藤原書店刊)など。

    アトリエ花習公式HP https://204e37d3fb9a011.lolipop.jp/schedule.html
     

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    取材/文:岡本麻佑

    フリーライター歴30余年。女性誌、一般誌、新聞などで活動。俳優・タレント・アイドル・ミュージシャン・アーティスト・文化人から政治家まで幅広いジャンルの人物インタビューを書いてきた。単行本、新書なども執筆。

  • 撮影:萩庭桂太

    1966年東京生まれ。東京写真専門学校卒業後、フリーランス・カメラマンとして活動開始。
    雑誌、広告、CDジャケット、カレンダー、WEB、等幅広いメディアで活動中。
    ポートレート撮影を中心に仕事のジャンルは多岐にわたる。
    「写真家」ではなく「写真屋」、作家ではなく職人であることをポリシーとしている。
    雑誌は週刊文春など週刊誌のグラビア撮影を始め、幅広い世代の女性ファッション誌の表紙を撮影中。
    http://keitahaginiwa.com/