この日、11月の『若村麻由美の劇世界』のポスターに使う写真を撮るため、萩庭桂太が銕仙会の能舞台にカメラを向けた。衣装をつけた若村さんが、舞台中央に立つ。と、そこに笠井賢一さんが近づき、小声で『もう少し、こう』とアドバイス。すると若村さんの中の何かが目覚めたのか、姿形にすっと、魂が宿る。これが演出家マジック? すかさず萩庭が、シャッターを切る。
 語り芝居『憧れいずる魂—六条御息所物語』というこの演目のヒロインは、六条御息所と、その娘。
「〈六条御息所〉というのは、紫式部が書いた『源氏物語』というフィクションの中のひと役にすぎないけれど、光源氏の恋の負の部分を、一身に背負っているんです。
『源氏物語』は紫式部が構想した大河小説で、その芯になるのは光源氏の恋。中心的存在は正妻の〈葵の上〉、年上の恋人〈六条御息所〉、11歳から手もとで育て、後に妻にしてしまう〈紫の上〉。他にもあまたの女性たちが登場して、素敵な物語を織りなすわけです。でも六条の御息所は光源氏を愛するが故に、生き霊になってしまう。そのおどろおどろしさばかりが注目されますが、恋に対するピュアさも強いんです。そして光源氏の恋の遍歴を全部、裏側から照らすような、そういう存在です」
 ここでちょっとざっくり、説明すると。
 光源氏は帝の血筋だけど母親の家柄がイマイチだったせいで、ちょっと格下の身分に甘んじている。ヴィジュアル最高で楽器に堪能、和歌も上手、口もうまいし女好き。つまりはモテモテ。そんな彼が憧れたのが、六条の御息所。次の帝になるはずの夫に先立たれてしまったハイソなマダムで、美貌もプライドも品性も知性も超一流。光源氏は何度もアプローチして、やっと恋仲になる! けれど光源氏は間もなく、彼女のもとに通わなくなる。今っぽく言うと、蛙化ってやつかも。
 それに対する六条の御息所の心の中は……、心変わりした男への怒りと哀しみ、そんな男になびいてしまった自分への後悔、悔しいからこそ燃えさかる恋情。愛憎に哀と怒が入り交じって、ズタズタのぐしょぐしょ。その結果、彼女の本体から生き霊が抜け出して、光源氏の本妻や新しい恋人のところに現れてしまう。本人は気付かないうちに、自分の心の奥底に秘めた情念が形となって、恋敵たちを苦しめる。
『源氏物語』を読んだ女性たちの中には、この六条パートを読んで〝六条は私だ!〟と深ーく共感する人が多い。〈東電OL殺人事件〉や〈新宿バス停殺人事件〉のときも、〝この被害者は私!〟という声があがったように、環境や状況は違っても、その心情が痛いほど、わかる。〝一歩間違えれば、これって私じゃん!〟と思う。だから六条御息所は源氏物語の中でも最高に人気の裏キャラなのだ。
 で、その六条御息所とその娘を、若村麻由美さんは演じるわけで。
「人間らしい業の深い哀しい女、と感じてます。自分でもコントロールできないほどの光源氏への想いとプライドがあって。舞台は2部構成で、1部は六条御息所の娘、秋好中宮(あきこのむちゅうぐう)が母への思いを語ります。2部では亡霊となった六条御息所が、死してなお苦しんでいることを吐露し、生きていた頃を回想しながら語ります。六条御息所の魂が安らかなる境地へ至れるよう。そう願って演じます」(若村)

 今までにも『平家物語』とか『曽根崎心中』とか他にもいろいろ、若村さんは日本の古典作品を数多く演じてきた。舞台やTVや映画でも、美しい着物姿や装束で、さまざまな時代の女を演じている。
「日本には、神楽に能、歌舞伎に人形浄瑠璃と、古い時代の芸能がずらーっと横並びに存在していますよね。これは世界的に見ても、かなり特別なことらしいです。そういう国に生きているからには、やはり次の世代の人が古典を知る、そのきっかけになれたらいいな、と思います。今回の私の公演で、生まれて初めて能舞台というものを見る人も、いるかもしれないし。もうね、この前出会ったある若い人は、『源氏物語』と『平家物語』のことを、源氏と平家の闘いの話だと思っていて(笑)。いやいや時代が百年以上も違うしって(笑)。自分も学びながら、知ってもらうきっかけに、なりたいですね!」(若村)

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若村麻由美の劇世界『あこがれいずる』源氏物語より 2024年11月22日(金)~24日(日) https://204e37d3fb9a011.lolipop.jp/schedule.html