ところで笠井賢一さんご自身がどんな方か、というと。
ご出身は?
「高知というところで生まれてます」
 ふつうの小学生だったんですか?
「ふつうですよ、ふっふっふ(笑)」
 どのへんから今のお仕事に興味が?
「それは、中学くらいのときから、文学的な傾向が強くなり」
 本をいっぱい、読んだりして。
「そうそうそう。受験校に入りながら受験をドロップアウトして、そっちのほうの世界にのめり込んでいって、自分はこういう世界で生きていくんだな、というふうに思っていて、その通り生きてるっていうことです」
〝そっちのほうの世界〟とさらっと言うけれど、芸能の世界は奥深い。しかもとことん深掘り、究めないと気が済まないタチらしく。神楽、雅楽、能・狂言、人形浄瑠璃、歌舞伎と、日本の芸能を片っ端から研究しまくった、らしい。
「芸能の根源はなんなんだろう? というふうに、いつも思うようになった。そのために歌舞伎を見、世阿弥を読み、いろんなものを読む中で……」
 学生時代から歌舞伎の研究を始め、歌舞伎俳優・八世坂東三津五郎の秘書を務め、本を書く手伝いをした。さらに30代半ばから観世流『銕仙会』に所属し、能・狂言を研究しながら、プロデューサーとして活動を開始。
「いろいろな方たちから影響を受けました。僕が小僧っ子の頃に、昭和の名手で義太夫の世界を変えたと言われる豊竹 山城少掾(とよたけやましろのしょうじょう)を録音で聞いています。相三味線が鶴澤清六(つるさわせいろく)というすごい名手だった。彼らの最盛期を聞いています」
 芸能の歴史を学ぶ中で、とりわけ心惹かれたのが、江戸時代の人形浄瑠璃や歌舞伎の作者・近松門左衛門。『曽根崎心中』を書いた人だ。
「中世の能を、近世の演劇に変えたのは近松です。近松は50歳くらいで大阪に移住して、それまでドラマの主人公といえば歴史上の偉人とか名のある人たちに決まっていたものを、名も無き大阪のティーンエイジャーの女性と20代の手代の男性の恋を描いて、大成功を収めた。ここから庶民の文化が始まるわけです」
 研究しながら笠井さんは、
「近松門左衛門の語りをやったり、文楽の仕事をしたり、いろんなことやりました。それから能の世界でプロデュース業、新作を書いたり、ずっとやってます。でも古典ばかりでもなくて、宮沢賢治もやってますし、石牟礼道子さんの作品を舞にしたり演劇にしたり。ファンタジーみたいな世界もやりますし」
 演じる側に立ったことも、ある。
「自分の演出が、技術的な意味でも、ちゃんと役者に通じるためには、自分の中の俳優的要素というか、言語をどういうふうに扱うべきか、それを体感するためにも。そして僕がいつも言うのは、言葉が生まれてくる内面的な根拠、それはシェイクスピアであれ、ギリシャ神話であろうとお能であろうと、その言葉にはその存在の根拠が書き込まれている。それをどうやって自分の内面でたどり、今初めてその言葉が口から生まれ出たかのように、言葉を体の中で創っていく。それが稽古だと思うんです」
 うーむ、個人的情報を聞き出そうと思っても、いつのまにか答は普遍的な真実へと突き進んでいく。現代と古典を相渡らせることに専念してきた笠井さんにとって、自分ひとりの事情もまた、古典という壮大な知恵の前には、些末なことなのかもしれない。

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