9年前、YEOに再登場したときに、富名哲也は言っていた。『この妻あってこその、僕です』と。
富名 「最近その思いが、さらに強くなってきた感じです(笑)。映画って、何度も言いますけどお金がかかるので、そのしわ寄せはいつも、奧さんでありプロデューサーでもある畠中に行くので。夫婦ですから家の中で声を荒げるタイミングもありますし、でも、それもありながら、ケンカしながらふたりで楽しくやってきた、という感じです」
 プロデューサー畠中美奈は、2013年から富名哲也監督とTETSUYA to MINA film(テツヤトミナフィルム)を始めた。以来、富名哲也監督全作品、『終点、お化け煙突まえ。』(13)『ブルー・ウインド・ブローズ』(18)『わたくしどもは。』(23)の企画・プロデュース・キャスティングを担当している。
 ふたりはまさに、二人三脚。いっつも、一緒。
畠中 「そうですね、あの、寝ても醒めてもふたりで映画の話ができるというのは、とても幸せなことだと思っています。ふたりで常に一緒にいて、こういう作品を作りたいとか、ああいう作品にしたいとか、いつも考えているので、映画の中で生きているような。実際あの、自分たちが生活しているのか、映画の中に私たちまで入っているのか、そこがわからなくなったりします(笑)」
『わたくしどもは。』という作品にも、ふたりの関係性は反映されているそうで。
富名 「ロケハンで車で移動中にも、死んだらまた一緒になるのか、死ぬなら一緒のタイミングがいいとか、たわいもない会話をよくすることがあって。そういう会話のエッセンスが作品にもダイレクトに、影響していると思います」
 幻想的で美しい映像の中に、生々しい存在感を描く富名哲也と、そのイメージを作品へと昇華するために、現世レベルのビジネスをバリバリとこなす畠中美奈。『わたくしどもは。』という作品は、このふたりの影絵のようなもの、かもしれない。
 そしてこのふたり、2020年くらいから、それまで住んでいた東京を離れ、新潟県に住み始めた。きっかけは、コロナ禍。
富名 「前作の『ブルー・ウインド・ブローズ』、私たちの初長編作品なんですが、ベルリン国際映画祭で上映されたり、他の国でもいろいろ評価してもらって、いざ日本でも公開、というタイミングでコロナ禍となり、上映がキャンセルになったんです。他にも進めたい企画がすべてコロナ禍で滞って、映画を生業にしようとしている身には、この先どうなるんだろう? という漠然とした不安がありました。私たちみたいな、夫婦でやってるヤツに関して言うと、ちょっとした強風ですぐ倒れちゃうような脆弱な立場なので(笑)、どうなるんだろう? って思いながら、でもまあ、なんとかなるかなって」
 じりじりとパンデミックが明けるのを待ち、タイミングを測りながら『わたくしどもは。』のクランクイン。そこで、
富名 「撮影地の佐渡島に近くて便利、というのもあったし、コロナもいつまで続くのかわからなかったし。思い切って、えいや! と、引っ越しました。畠中が直感で、新潟が良い、と感じたらしくて(笑)」
 東京から新潟へ。かなりの冒険に見えるけど。
富名 「変化はまったくない、ですね(笑)。東京にいても、東京の風俗とか現代社会をテーマに映画を撮るイメージは自分の中になかったし。新潟にいれば自ずと、新潟の風土にかかわる台本になると思いますけど、僕には新潟がフィットしている感じがします。車でふたりでロケハンしたり、くだらないことだべりながら、次の企画を考えたり、という意味ではすごい有意義、というか、楽しいですよ、自然が豊かだから、新潟は。次は佐渡島をいったん離れて、新潟県の本土側で、土地の風土を取り込んだ物語を書こうと思っています」
 暮らしやすさも、気に入っている。
富名 「人がみんな、優しいです。新潟は雪が多いし風も強いし、気候が不安定だから、その中で育った人たちみんな、隣の人たちと助け合うイメージがある。移住してすぐに、みんな受け入れてくれました。ていうか、畠中の後ろに僕がくっついていくような感じですけどね(笑)」

——–写真は前作『ブルー・ウインド・ブローズ』にも出演した内田也哉子さんと———-