『わたくしどもは。』は、小松菜奈と松田龍平のW主演。彼らだけでなく、ほとんどの登場人物は記憶も名前もない、という設定。その場しのぎのミドリとかアオとか、記号のような呼び名をつけて進行する。
「今回、物語や登場人物のキャラクターを超えた形で、筋書きや人となりに依存しない形で、作りたかった。この人はこういう人だからこうします、じゃなくて、人がそこに存在する、という画を撮りたかった。なので、その人の性格や人間性を形づくるよりは、その記憶を無くすという設定によって、本当にその人間がごろっと居る。小松菜奈さんにごろっという表現はあまり似合いませんけど(笑)、存在を映像に刻印したい、という思いがありました」
 その人のキャラクターを排除する以上、口にする言葉、つまり台詞も当然、少ない。しかも、『わたくしどもは。』というタイトルもそうだけど、語られる言葉はみな、正しく美しい発音の日本語だ。最初はちょっとこそばゆいけど、だんだんと丁寧な日本語が心地良くなる。なんだか、小津安二郎監督作品を観ているような、夏目漱石とか川端康成の作品世界にいるような。
「小松菜奈さんに最初に渡した台本は、人称が〈わたし〉だったんです。でも撮影直前に〈わたくし〉に変えてもらいました。なんか、枷を課したようなもので申し訳なかったのですが。小松さんも直前の変更だったのでとても困っていて、『不自然ではないですか?』と事前に相談してくれたんですけど、あえてその不自然さを受け入れてもらいました。しかも動きを封じる演出をしています。肉体はそこにあるけど、それは器にすぎなくて、どこか空っぽな姿が欲しかった。彼女は見事に応えてくれました」
 かと思えば、肉体が雄弁に語る人物たちも、登場する。ダンサー・俳優の田中泯、歌舞伎界ホープの片岡千之助、俳優・ダンサーの石橋静河、演出家・ダンサーの森山開次、能楽師の辰巳満次郎と、肉体表現の強者たちが共演しているのだ。
 田中泯が椅子に座る、それだけの映像が、こんなに美しいとは!
「特になにか演技指導したつもりはまったくないのですが、数少ない台詞だったりト書きの雰囲気、場所の空気感を察知して、みなさんああいう演技をしてくれたのだと思います。今回の映画は心理的なものを、心理劇ではないもので表現したい、と。役者の人たちの存在そのものを撮りたかった、というか」
 生きていても死んでしまっても、その〈存在〉は消えることがない。
「私が2歳の頃に父親が病気で亡くなって、母が仏壇に手を合わせる姿をいつも見ていました。ですから父は、肉体としてはいないけれど、意識の中ではすぐそばに存在していると感じていた。見えないものに対する距離感が、私の作品の特色になっているかもしれません」
 それにしても、豪華なキャスティング。2013年の短編『終点、お化け煙突まえ。』でブレイク前の岸井ゆきのを起用していて、俳優を見る目の鋭さは知っていたけれど。
「今回は本当に、この役はこの俳優さんに演じて欲しい、と思ったまさにその方が参加してくれて、感謝しています。出演は難しいかな、と思った方も、プロデューサーの畠中美奈が、つまり妻が、ガッツがあるものですから、頑張ってくれまして。飛びこんでいって、説得してくれたんです、きっと。よく本当にこのキャスティングができたなと、僕自身もびっくりしています」
 そうそう。富名哲也監督を語る上で、妻でありプロデューサーである畠中美奈さんの存在を忘れるわけにはいかない。そうか、このキャスティングも、畠中さんの力技だったのね。で、ふたりの共同戦線については、明日の記事で。

——-写真は森山開次さんとアフタートーク時———