YEOに富名哲也が最初に登場したのは、2013年10月21日~25日。第18回釜山映画祭の短編コンペティションで『終点、お化け煙突まえ。』が上映されたときのこと。ダメモトで急遽エントリーした作品が認められたことにびっくり、そして感謝しつつ、長編映画への意欲を語ってくれた。2回目は、2015年10月19日~23日。釜山国際映画祭のアジア映画ファンドに挑戦、映画製作の資金を獲得するために奮闘する姿を、そのまんま、見せてくれた。(YEOはバックナンバーも見られるので、興味のある方は是非チェックして!)
 つまり富名哲也は映画を作るため、釜山だけでなく海外のあちらこちらで、企画を提示し、熱心に売り込んで資金を獲得し、制作してきたわけで。
「映画を作るのって、お金がかかるんです」
 だけど、作りたい。いや、作らずにいられないのは、何かを伝えたいから?
「すごい難しい質問ですね。映画で何を言いたいのか、簡単には答えられないけれど、突き詰めれば『自分たちは今、生きてるぞ』って、そんな感じかもしれない。何かのメッセージは潜んでいるのかもしれないけど、これを伝えたい、という明確な思いは、根本的には、ないです。今までの3本の作品も、そのときにひらめいたものをシノプシスとして、さーっと書いている。大体夜中にインスピレーションのまま書いて、翌朝見たら支離滅裂で、あれ? って思うような、そんなくり返しで(笑)。でもいざ撮影に入ると、〝良いショットが撮れた、これは言葉にならないショットだ!〟って興奮しながら作ってます。
 もしかしたら観客のみなさんには、わかりにくいかもしれないけど。ふつうの映画だったらもうちょっと丁寧に説明してフレンドリーにするだろうなってところを、僕はそういう、説明的なショットは撮らないんです。映画は言葉より映像で成り立っていると思うので。台本の言葉よりはショットで成り立っている意識が自分では強いので」
 饒舌ではない分、彼の作品にある余白は、観客に委ねられる。言葉に誘導されない分、映像は心の中の、意外なところに染みこんでくる。ミステリーのように、これってどういう意味? という問いかけが、いつのまにか、自分自身に向けられていく。
 自分はどこから来て、どこに向かっているのか。簡単には答の出ない質問がじわじわと染みこんでくる。

———写真は東京国際映画祭2023 コンペティション部門 舞台挨拶——