舞踊の舞台だけでなく、芸能やエンターテーメントの方向にも活動が広がって行った。
エンターテイメントの世界の最初の仕事は、
「倖田來未さんのツアーだったと思います」
 当時、天才少女としてモダンバレエの世界では有名だったというけれど、ショービズはまた、別物。そういうのって、いきなり踊れちゃうものですか?
「私、小・中学生の頃SPEEDが好きだったんですね、というよりSPEEDになりたかった(笑)。だから振付を真似していくうちに、自然とリズムに合わせた動きとか、ヒップホップのような動きも独学で踊っていました。その成果もあってか、オーディションに呼ばれたとき、『キューティハニー』もなんとなく踊れて(笑)」
 ひとつのステージを見た人が、あのダンサー、いいね、とまた次の仕事につながっていく。
「その頃、今よりコンテンポラリーダンスの人口が少なかったのもあって、髪が長くて踊れる女性といえば…とか、そういうイメージでオファーをいただいたこともありました(笑)」
 数年後、今度はミュージカルの舞台から声がかかった。
「ホリプロのブロードウェイミュージカル『ピーターパン』のタイガーリリー役でした。オーディションではなく、振付の方から直接お声がけをいただき出演することに。そこで初めて踊るだけじゃなく、台詞を言ったり、歌を歌ったり、殺陣したりという課題を与えられたんです」
 小さい頃から通っていたバレエスタジオの発表会では、芝居仕立ての舞台もあり、そこで主役のシンデレラとか白雪姫を演じた経験があったものの。
「最初は、とにかくダンス以外は『苦手!』という意識が強くて。ヴォイストレーニングに通ったり、先輩の俳優さんからアドバイスをいただいたりして、乗り切りました。大変ではあったけど、やったらやっただけ、できることの幅が広がることが楽しかったです」
 次に舞い込んだのが、岸谷吾朗氏と寺脇康文氏が主催する劇団『地球ゴージャス』の舞台。
「ある別のミュージカルでアンサンブルとして踊っていたところ、終演後に楽屋に、たまたま舞台を観に来ていた岸谷五朗さんが来て下さって! 今度の舞台に是非と言ってくださったんです」
 なんか、次々とメジャーな仕事が勝手に押し寄せたような展開だけど、もちろん、その
ラッキーを引き寄せるに十分な努力はしていた。
「コンクール時代は1日8時間とかは練習していたし、ノーミスで10回!やるまで帰らないとか。あと、これまで2回、演技の学校に行っています。演技やりたいなぁと思って1年間通い、やっぱり才能ないからダンスがいいなとなって戻ってきて(笑)また行って、でもまたダンスに戻って。そして今、第3のお芝居を勉強したい波が来ているところです(笑)」