神野美伽がアメリカに初めて向かったのは、2014年頃のこと。『ソロモン流』(テレビ東京)というドキュメンタリー番組の、密着取材の一貫だった。
「7ヶ月以上私を追いかけてくださって、そのときに〝何かやりたいことありませんか?〟って聞いてくれたので、〝アメリカに行って自分の可能性を試してみたい〟って答えたんです。それをすごく面白がってくださって、ごくごく小規模な人数でニューヨーク・ロケに行きました。そのときにジャズクラブで歌わせてもらったら、その店のオーナーが、〝いいね! また来てくれ〟と言ってくれた。〝それ本当ですか?〟〝本当だよ。じゃあ次、いつ来れるの?〟っていうから、すぐにスケジュール調整して、また行って。そのときには自分ひとりの個人事務所で活動していたから、何の後ろ盾もないけど、その分話が早いんです」
 その後何度かステージに立ち、それを見ていたある人物から、声がかかった。
「おもしろいジャズ・シンガーがときどき歌いに来てるらしい、と聞いて、興味を持ってくれたのが、マンハッタン・トランスファーのジャニス・シーゲルさんでした。私、失礼ながらその方のこと、全然知らなくて(笑)。でもジャニスからのメモを渡されて、行ってみたらそこが、ジャニスの自宅でした」
 マンハッタン・トランスファーといえば、超有名なジャズ・コーラス・グループ。長年にわたり、何度もグラミーの主要な賞を獲得している。ジャニス・シーゲルはその一員で、ソロ活動にも積極的。つまりかなりの、大物だ。
「行くとすぐ、ジャニスは日本のお茶を淹れて歓迎してくださった。そして〝ちょっと歌ってみて〟って言うんです。〝え、ここで?〟って思ったけど、演歌に興味があるみたいだから、『りんご追分』の〝りんご~の、花びらが~〟って歌いました。〝Once more,Please〟、もう一回、もう1回って3回歌ったら、4回目にジャニスがそのメロディの3度上をハモってくれた。それを聴いて私、鳥肌がたちました。演歌をハモるなんて初めてで、しかもそれがすっごい素敵で、そうすると私の歌い方も変わってくる。そのとき〝私の求めていたものは、これだ!〟と思いました」
 そのとき、ジャニスが興味をもったのが、神野美伽のこぶし。
「〝美伽、そのヨーデルはどこで学んだの?〟って。バークリー音楽大学でもそんな歌唱法は教えてないらしくて(笑)。真似しようとするけど、できないんです。そっか、グラミーのアーティストができないことを、私はできるんだって、感動しました」
 その出会いから、ジャニスとのコラボ企画がいくつも進行した。2018年にはジャニス・シーゲルも参加したアルバムが、演歌歌手として初めて、世界120カ国で配信されている。さらにテキサス州オースティンで行われた世界最大級の音楽イベントSXSWにも、日本人演歌歌手として初めて参加した。
「自分が何者であるか、行って初めて気が付きました。演歌というジャンルの中で頑張って、ちょうど30年目くらい。自分がやりたいと思う場所に出向いて、歌って、そこからグーンと世界が広がった。気がついたらジャニスとアルバムで一緒に歌っていました。そんなこと、デビュー当時の私には想像すらできませんでした。運命って、自分の力だけじゃ拓けない。誰かがきっかけを作ってくれるものなんですね」