神野美伽は、日本人のソロ歌手としては初めて、韓国デビューを果たしている。
 デビュー直後から演歌歌手という肩書に内心、違和感を持ち、同時に演歌というジャンルの先行きに危機感を感じていた。
「このままだと、お客さんがどんどんいなくなる、先細りなんじゃないかって。狭い世界ですから、閉塞感もありました。その一方でちょうどその頃、韓国からチョーヨンピルさんとか桂銀淑さんが来ていて、日本の芸能界で活躍していたんです。日本で仕事をするためにちゃんと日本語を勉強してきていて、すごいな、と」
 最初に韓国に行ったのは、デビューから3年後。日本のテレビ番組のロケだった。
「行く前は韓国にそれほど興味があったわけではないんです。でも行ってみたら、音楽的な感性がとても近いし、文化も似ている。距離的にも、九州からひと足伸ばしたらすぐ、ですから。ああ、ここにもお客さんがいる! と思いました。
 2泊3日の短い旅でしたけど、音楽テープとかCDを大量に買い込んで、戻ってすぐに本屋に駆け込みました。韓国語のテキストを買って、辞書を買って。歌手の名前も読めないし、歌詞も読めない。意味が知りたかったから独学で勉強しました。当時は韓国語講座を学ぶ方向があまりなかったので、ひとりで文字から勉強しました」
 いつか、韓国でも仕事をしたい。そのためには韓国語をマスターしようと、コツコツ勉強を続けたという。
「でもね、当時はまだ誰も韓国のことなんて気にしてなくて、レコード会社のディレクターに相談したら、〝なんで韓国なの?〟って笑われました」
 それから10余年。
「1999年、15周年のときに、韓国の人が作った曲を歌ってアルバムにしたいって、恐る恐るスタッフに切り出したら、ようやく周りが動いてくれたんです。ある程度話せるようになっていたから、そこから先はトントン拍子に。日本で発売するのと同時に韓国でも発売することになって。いろんなことがばーっと進んで、韓国でデビューもできました。向こうでテレビやラジオにも出演できるように、行ったり来たり」
 とはいえ韓国では、日本人に対する風当たりが、まだ強い時代。
「やっぱり、時が早すぎました。あの頃の韓国の芸能界はまだ、日本人を起用することにものすごい抵抗があって。結局、なにひとつ残せていないけど、私にとっては大きな経験でした。自分が感じたことを信じて、自分で動いた。正解だったか正解じゃなかったか、わからないけれど、その経験があったから、何か新しいことをするときに、迷いがなくなった。アメリカに行くときも、すごくハードルが低かったんです。英語がちゃんと話せないとダメかなって、ちょっと迷いましたけど、ま、なんとかなるっていうことは、経験でわかったから」
 その後、神野美伽がアメリカに渡っていろいろチャレンジした話は、また明日!