70年代、藤舍呂悦は現代音楽の試みに数多く参加している。
呂悦 それはあの、諸井誠さんとか武満徹さんとか、友だちに作曲家がおって、あと指揮者の外山雄三さん、秋山和慶さん、いっぱいみんな、グループでやっていたんです。どうやって出会ったかって、それはその、飲み仲間です(笑)。
 万博が1970年でしたか、その頃から現代音楽がわーっと盛んになったんです。万博会場に鉄鋼館というのがあって、そこの廻り舞台で演奏したりね。マイケル・ランダーさんとかも一緒にやりました。みんな洋楽の人ばかりやから、あの人たちから見たら僕のやってること、珍しいわけですよね。

 もちろん、珍しい、だけではない。ジャンルを超えたその音楽性が買われて、国内外の演奏に引っぱりだことなった。彼のコメントにいっぱい出てくる個人名、知らない人はウィキで調べてほしい。ビッグネームばかりだ。
呂悦 N響さんともやらしてもらいました。そのときはピアノが園田高広さんでした。その人達とやったときも、負けてないんです鼓は。N響のメンバー、みんな上手い人だらけで、こっちの世界でいったら宗家や家元みたいな人たちばかりですよね。でも僕はそのとき、なにかで新幹線が遅れて、リハーサルに間に合わなくて、遅くなってスイマセン、て。五線譜なんか全然読めませんから、指揮者に、僕の番になったら合図してくださいって注文出したらみんな笑ってましたけど(笑)。
 ツトムヤマシタっていう人ともやりました、『対話』っていうタイトルだったか。そのときは鉄棒で枠を作ってブリキの板をぶら下げて、ごわんごわん、ってモノを言わすんです。あの横山ホットブラザーズがのこぎりで〈お前はアホか〉ってやっていたでしょう、あれと同じですな(笑)。TVの『11PM』にも出ました。
 ニューヨークで山本邦山と、尺八と鼓でジャズもやりました。向こうのTVにも出たし。
貴生 そういう時代、というか。だから今でいう、ぶっ飛んだ系です(笑)。
呂悦 これをやったら面白いな、っていうことをね。だからあまり断ったこと、ありません。難しいことを言われてわからなくても、なんとなく誤魔化して(笑)。打ってしまうのが大事です。そして、こういういろんなことやらせてもらったおかげで、相手の雰囲気が読めるようになったんですよね。次はこう来るな、っていうのが。言葉なんて通じなくても、始まってしまえば、できるんです。

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写真は、取材撮影合間の家族写真の1コマ