藤舍呂悦が太鼓を知ったのは、まだ小学校の頃。
呂悦 母親が日本舞踊やっていたんです。親父は書道家で。たまたま知り合いが、僕の家のひと部屋を借りて、太鼓を教えていたんですよ。小学校から帰ったら、近所のおばちゃん連中がみんなで太鼓の稽古していて、それが面白そうで、楽しそうでね。見てたら簡単そうなのに、やってみると難しい。で、僕もやり始めたんです。僕は3人兄弟の3番目で、長男は母親から日本舞踊を叩き込まれていたけど、僕は踊りなんてこんなん、いややし。あまり勉強好きやなかったもんで、太鼓たたいてたら許してもらえるかなと思ってね(笑)。

 遊び半分に始めたはずが、隠れた才能が一気に花開いた。やがて囃子方のチームの一員として迎え入れられ、次第に主力メンバーになっていく。
 ちなみに、囃子というのは主に太鼓、小鼓、大鼓、笛で構成される。打物の人は鼓や太鼓、大太鼓、鉦など打楽器すべてを担当する。
呂悦 若い頃はね、締太鼓をよくやらされました。仲間うちで太鼓のうまい人がいなかったのか、下っ端の僕にすぐに役が回ってきて、おかげでいろいろなこと覚えました。

 19歳で歌舞伎公演デビューを果たす。今では考えられないほどの、大抜擢だった。
呂悦 大阪の中座が初めてです。あのときは(三代目實川)延若さんの『船弁慶』だったかな、あと(二代目中村)扇雀さん、後に(四代目坂田)藤十郎さんになられた方で、『鏡獅子』を出し物されてました。僕まだ若くて、上に先輩いっぱいいるのにね、先輩たちが楽屋でお茶出してるのに僕は舞台に出してもろうて、見込んでもろうて、やっぱりまあ、ひがまれましたよね。それは当たり前やと思いますわ。

 そこから今に至るまで、ずーっと、大忙し。
呂悦 うんまあ、色々器用にできましたからね。できない人も多かったから、いろいろさせられたのかもわかりませんけど。

 年功序列はありながらも、うまい太鼓は、求められるのだ。
 そこで、太鼓の達人に聞いてみた。難しいところは、どこですか?
呂悦 今までの経験でいうと、抑えるバチが難しいです。強いより、抑えるバチが。

 ここで側にいる貴生さんから、解説が入る。
貴生 僕らはそれを〈刻む〉って言うんですけど、バチを太鼓に当てて弾まないで打つ奏法、音を刻むんです。〈付けバチ〉とも言います。テンテンテンテン、じゃなくて、テの手前のツの音を細かく刻みます。
呂悦 ツクツクツクツク、難しいですね。キレイにしっかり打てる人、なかなかいません。クラシックで言うと、音の強弱を表すときのピアノ、ですな。小さい音で刻みます。
貴生 小さい音なんですけど、それがお客さんに聞こえなかったら、エアーだろうって父は言うんです。その音も大事に聴かせなきゃ、やる意味がない。ものによっては、そのツにも大中小がありまして。
呂悦 あります! 国立劇場の後ろのほうの席まで聞こえるように、でもそれはテンじゃなくてツなんです。ちょっと強めに打つんですが、勇気がいります。

 話はどんどん、ディープになっていく。
呂悦 囃子の音をみなさん、テレツクテレツクって言いますよね。でも8つの音は一緒、テもレも一緒なんですけど、テレツクテレツクって聞こえますでしょ? テレよりもツクのほうが弱く聞こえる。ツクは付けバチです。つまり日本の太鼓は、力加減でものを言っているんですよ。僕もわけがわかりませんけど、それ、武満徹さんに教わりました。アナマナピアって言うんだそうです。

アナマナピアとは、状態や動作を音で表すこと。擬態語だ。日本ではオノマトペと言うのだけれど、武満徹は英語でアナマナピア(onomatopoeia)と言っていたらしい。それにしても、現代音楽の巨人・武満徹がいきなり出てきた! その理由は、明日へ。