俳優ではあるけれど、芝居よりもずっと長く、取り組んでいることがある。絵を描くことだ。
「描くのは主に風景ですね。いろいろなところに行けば行くほど、地球の美しさを実感する。ふだん生活しているだけでは、その美しさに気づけないんです。旅先で大自然を前にすると、絵にすることでそれを自分の中に取り込んでいく、吸収するといいますか、何かを教えてもらっている気がします。変な話ですけど、景色のほうから〝描いて、描いて〟と言われている気がするときもある。〝わかったわかった、ちょっと待って〟って」
 こんなことがあった。チベットの標高4千メートルの高地で、ある湖を前にしたときのこと。空を映した湖面が、浮かぶ雲の動きに連れて、刻一刻とその色を変えていく。空気中の酸素が薄く、頭はぼうっとしながらも、夢中になって絵筆を走らせた。
「なんかもう、興奮状態で、雲の流れで湖の色がどんどん変わっていくのを見て、〝あー!あー!〟って叫びながら描いていました。そばに誰もいなかったからいいけど、誰か見ていたら、ちょっと変な人だと思われたでしょうね(笑)」
 旅に行く時は、必ず絵筆を持って行く。その場で着色まで仕上げるのが流儀なのだけれど、気分が乗らないと、絵は描けないという。描くべき対象も、そのときの心情によって変わっていった。
「インドのガンジス河を描いていたときに、なぜそう思ったのか未だにわかりませんけど、〝わざわざインドに来て描かなくても、自分は自分、どこにいても一緒だな〟という心境になった。そしてその旅を終えてひと月後、成田空港に着いて、リムジンバスの窓から東京のビルが見えてきたら、すごく新鮮に見えたんです。それまでは東京は仕事をする場であって、グレーの街にしか見えなかった。でもそのとき、ガンジスでの気持ちのまま帰ってきたら、東京がとてもカラフルな街に見えたんです。それから急に、東京の街を描きたくなった。考えてみたら、大きい宇宙から見たら、東京だってある意味、人間が頑張って作った、自然の一部なのかもしれない。旅を重ねて行くうちに、そういう気持ちの変化が積み重なってきたんでしょうね」