名前は、がる。他人がつけた。
 詳しく言うと、今は他人になった元夫が、頼むから猫の名前をつけさせてくれ、というから、いいよって言ったら、『がる』と名付けたいという。どうやら『がる』は『我流』だったらしい。暴走族かよ、と思ったけど、音の響きがカワイイから、受け入れた。もちろん、ひらがなの『がる』だ。
 最初に連れて行った動物病院の先生が、がるを持ち上げてじーっと観察してから、『オスだね』と言った。なるほど、そうかと思っていたらひと月後、同じ先生が、『あ、メスだったね』と。子猫の性別は見分けるのが難しいらしい。猫あるあるだ。
 最初のうちは数時間おきにミルクを作り、飲ませた。本当は4~5時間おきに飲ませるべき、らしいけど、そんなこと知らなかったので、平気で7~8時間空けてしまうこともあった。ミルクを飲んだら濡らしたティッシュでお尻を軽くタッチして、オシッコさせる。
 乳飲み子が待っていると思うと、外出しても気が気じゃない。速攻で家に戻るようになった。
 1度、がるが行方不明になったことがある。家に戻ってみると、どこにも居ない。あわてて部屋の隅から隅まで探索し、家具の裏から棚の上まで覗き込み、それを数回くり返しても、見つからない。名前を呼んでも、応えない。戸締まりはしてあったので、外に行ったはずはない。ふと、畳んであった布団のすき間に手を入れてみると、そこで寝ていた。潜り込んで、爆睡していたらしい。そうやってだんだんに猫の流儀を知り、猫との暮らしに慣れていった。
 そしてがると暮らすうちに、ある日突然、気が付いた。手間をかけるということは、なんて愛おしいことなんだろう、と。エサを与え、寝床を用意し、元気かどうか、四六時中気にかけている。どんな様子か、見守っている。そんなこと、面倒臭いはずなのに、カワイイから全然、苦にならない。それどころか、手間をかければかけるほど、この子には私が必要なのだと思われ、愛おしさが増してくる。
 じゃあ自分はどうなんだろう? と、我が身を振り返った。誰かと恋愛したときに、私はいつも、相手の負担にならないように気を配ってきた。相手の迷惑にならないように、〝会いたい〟とか〝そばに居て欲しい〟とか、言わないようにしてきた。甘えない、負担にならない、聞きわけのいい女のフリをしていた。それは裏返せば、相手に私の面倒を見させないよう、バリアを張ってきたということじゃないのか。もっとわがままを言って手間をかけさせてあげていれば、より濃厚な関係が築けたのかも知れないのに、それを拒否していたのは私自身だったのか。
 なるほどね。猫にこんなことを、愛情の本質を教わるなんて、思ってもいなかった。どうして人間相手では気が付かなかったのだろう? 
 トイレの砂を換え、エサを用意し、ブラッシングして毛並みを整え、あたたかい寝床を用意するたびに、私はがるを余計に愛するようになる。がるは当然のように、それを受け入れる。愛は、ここにある。