NHK大河ドラマ『武田信玄』に出たり、人気ドラマにゲスト出演したり、女優人生のスタートは順風満帆。
「でも、葛藤はありました。良いお仕事というチャンスをいただけると、求められるものがどんどんグレードアップしていきますし、研ぎ澄まされていく。それになんていうか、特別感に乗れない自分がいました。女優だからといって、いきなりお嬢さま、お姫さまにはなれない。東京という街自体にもまだ慣れていないのに、その中で女優の顔して生きて行くことにいっぱいいっぱいで、疲れている自分がいました。オフの時間も、その使い方がわからなくて」
 こんなことがあった。疲れ果てた彼女が、久々に故郷の実家に戻ったときのこと。
「やっと自分の部屋に戻って、ひと晩ぐっすり寝ようとしたら、いきなり早朝、起こされたんです。すると知らない人が目の前にいて、『サインちょうだい』って。親もファンに対してどう向き合ったらいいのかわからなくて、追い返せなかったんでしょうね。ボサボサの髪でサインしながら、涙が出てきて、止まりませんでした。そんなことがいろいろあって、もう、バランス取るのが難しくて」
 とはいうものの、女優という仕事に手応えを感じ始めたのも、この頃のこと。
「『ふ・た・り・ぼ・っ・ち・』(1988)という映画に出たとき、榎戸耕史監督に鍛えられました。榎戸監督はずっと相米慎二さんの助監督をやられていたので、相米イズム全開でいろいろ教えてくださったんです。24時間撮影しつづけた、ということで有名な作品です(笑)。
『恋の最終便』(1989・1991)という舞台も、印象に残ってます。細川俊之さんが3人の女性と恋愛を繰り広げていく、その中のひとりを演じました。細川さんとたったふたりで30分くらい芝居をするんですけど、それがすごく大変で、面白くて」
 忙しい毎日を過ごすうちに、ふと、自分に足りないものを感じるようになった。
「当たり前の生活が、足りないなって。仕事は面白いけど、面白いだけでいいのかなって。自分自身の気持ちにゆとりがない。お芝居をやりながら、からっぽになっていく自分が見えてきたんです」