2 三十一歳、突然の覚醒
羊毛造形アーティスト 太田光美
- Magazine ID: 4031
- Posted: 2021.03.30
生まれたのは北海道。「自然の多い道東で」生まれた。「歳の離れた兄や姉の影響を受けて育ち、」中学生の頃から、兄が働く東京に遊びに来ていた。なにせ地元には、面白いものがあまりなく。
「バレエとピアノを習いたいってずうっと言っていたんですけど、実際に習ったのは剣道と算盤でした(笑)。何も考えていませんでしたね。10代の頃は自分がどうなっていくのか、まったく見えなくて、なにか刺激を受けるとすぐやりたくなる。当時、東京の渋谷ではガングロが流行っていて、私もたまに東京に遊びに来ると、日サロで顔を灼いてました。青いアイシャドウ塗ってルーズソックス履いて、地元では目立っていたかも(笑)」
幼い頃から絵を描くのが好きで、美大や芸大に憧れてはいたけれど。
「美大や芸大を出ても、食べていける人は、ほんのひとにぎり。経済的に何の保証もありませんよね? そういうのは趣味でやるものだ、という価値観の大人たちに囲まれて育ったので、興味はあっても自然と美大に行きたい、とはならなかった」
高校を卒業後、東京で寿司屋を経営していた兄を頼って上京し、店を手伝った。お店の移転を機に一度実家にUターン。1年後、栄養士を目指して専門学校に入学する。ところが学生に戻ってみると、今度はダンスにドハマリ。さらに音楽活動に目覚めて、ガールズコーラスグループの一員に。その後はイベントコンパニオンとして働き、20代後半になるとイベント制作会社の事務員となり、次は外資系会社の事務員として働き始めた。
そして31歳のとき、一大決心をする。
「今までやりたくてもやれなかったこと、全部やろう! と思ったんです。本当にやりたいと思っていたのにできなかったこと、やるなら今しかない、と。ちょうどその頃流行っていた海外ドラマの影響もあって、英語をマスターしたいという思いも強くて、ロンドンに語学留学することにしました。31歳にもなって、今さら行ってどうするんだって家族とかにも言われましたけど、強く反対されたわけでもないし。流れ的に、思い立ったからやる、という感じで」
ロンドンに単身渡り、役に立ったのが、その少し前から習っていたフラワーアレンジメントの講師の資格だった。フラワー・アーティストのアシスタントとして結婚式会場の飾り付けやガーデニング、セレブ家庭のウィンドウプランターのメンテナンスなどをしながら、語学学校に通う日々。そこから紹介されてロンドン三越のクリスマス・ディスプレイなども手がけたという。
「あの時、31歳のあの時に思いついて、行動して、動き始めたことが、その後の私の人生を大きく変えてくれたと思っています」
やがてビザが切れそうになり、貯金も底をついたので、ロンドンから帰国。
ある日テレビを見ていたら、そこに写っていたのが、羊毛フェルトだった。