あらたに芸能事務所に所属して、すぐに受けたオーディションが、美輪明宏さんの舞台『毛皮のマリー』(2019年4月から新国立劇場、その後全国巡回公演)だった。
 公募していたのは、アンサンブル。役名のつかないいろいろな役柄を演じる、〈その他大勢〉のメンバーが求められていた。
「美輪さんは僕の憧れの人なので、緊張してオーディション会場に向かいました。だから記憶も途切れ途切れなんですけど(笑)。部屋に入った瞬間に、美輪さんが『あら、可愛い』っておっしゃったのは憶えているんです。アンサンブルとして必要なのは体格が良くて男らしい、野太い声の持ち主だと言われていて、僕は声も高いし、ダメだろうな、と思っていました。で、ひとことしゃべったら、『もう、いいです』って言われて、帰ろうとしたら別の台本を渡されて、これを読んでみなさい、と。その後、近くまで来なさい、と言われて、美輪さんの側に行ったら、『あなた可愛いわね、そのえくぼは生まれつき?』って聞かれました。それからすぐに、『はい、わかりました』って言われて、オーディション終了でした」
 それから数日後、事務所に連絡が入った。『毛皮のマリー』で主人公の男娼マリー(もちろん演じるの美輪明宏さん)が溺愛する18歳の美少年・欣也役に、藤堂日向が大抜擢されたのだ。事務所もビックリの快挙であり、本人ももちろん、驚いた。
 けれど、大変なのはそれからのこと。
「稽古は1ヶ月以上あったんですけど、すごい、すごい日々でした。まわりは大先輩の俳優さんばかりですし、僕はもう、何もできない。厳しかったです。怒られっぱなしで、『頭冷やしてきなさい』『出直してきなさい』って何度言われたかわかりません。あのときは僕、クラシックにハマっていて、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番をめちゃめちゃリピートして、自分の中で交感神経を高めてから毎回舞台の稽古に臨んでいました」
 やがて本番の公演が始まり、徐々に舞台にも慣れていった、その頃のこと。ちょっとした事件があった。
「僕、エゴサーチしてしまったんです。『毛皮のマリー』は昔から何度も上演されていて、欣也役もいろいろな人が演じているんです。で、たまたま僕が読んだ記事に、『やっぱり欣也役はミッチー(及川光博さん)が最高!』と書いてあった。それを見てから、公演の最中なのに気持ちがモヤモヤしてしまって、ずっと消えないんですよ。すると美輪さんが、何か感じたのか、僕に話しかけてきた。『あなた、何かあるの?』って。そう聞かれて、隠し事なんて出来ませんから、僕は白状しました。エゴサーチして、ミッチーのほうが良かったって・・・・。すると美輪さんが、こう言ったんです。『あなたが悩んでいる意味が全然わからないわ。私があなたを選んだというだけで、十分でしょう?』って。その瞬間、頭の上にあった暗雲が吹っ飛んでいって、『そうだ、俺は何をクヨクヨしてたんだ!』って(笑)」
 さらに、藤堂日向に突き刺さった、美輪さんの言葉がある。
『つまらない俳優になるんじゃないわよ。私の舞台に出るのだから』と。
「あの舞台がなかったら僕はもう、チープな役者で終わっていたと思います。何ものにも代えがたい、ありがたい経験です」