2007年に高柳は日本に帰国。以来、年に1~2回はポルトガルに渡りながら、ファドの歌い手として活動を続けてきた。CDを製作することもあれば、レストランや音楽バー、ホテルのラウンジなどなど、ギターを弾きながら生音&生声で、ファドを歌ってきたという。
「大学を出てシンガーになってから、ずっと順調だったわけではありません。ライブをすればお金は入りますけど、十分に稼げるとは限らない。スタジオ代やボイス・トレーニングなど必要な出費はありますし、だからバイトしながらしのいできました。でも、食えるとか食えないとか、お金がどうのこうのっていうよりは、真ん中に自分はシンガーであると、ミュージシャンであるという思いがあれば、それが一番大事なことだと思うんです」
 今回のコロナ禍で、ライブを始めたくさんの予定が吹っ飛んだ。収入も減ってしまったけれど。
「仲間がバイトを紹介してくれました。4月は1ヶ月くらい、隠岐の島で海沿いの岸壁を解体する仕事をしていました。そのあとはボーリング作業。実家が居酒屋なのでウエイターなんかもしますが、肉体労働も多いですね。でもバイトが続くと、自分の音楽とか自分の哲学に向き合う時間が減って、余裕がなくなってくる。そんなとき、音楽の仕事をすると、ほっと息を吹き返します。だったらもう、食えなきゃ食わないでいい、音楽だけにしようか、なんて思ったりして(笑)」
 そんな中、40代になった高柳を新たに刺激してくれる出来事があった。ポルトガルワインを出すレストランに出演し、その人脈から、Catch As Catch Canレスリングの道場『C.A.C.C.スネークピットジャパン』を主宰し、レスリング教授を務める宮戸優光さんと知り合ったのだ。
「僕、現役レスラー時代の宮戸さんの、大ファンだったんです! うれしくてうれしくて、お話するうちに、かつてのUWF愛がまた湧き上がってきた。宮戸さんがやっている道場で、またトレーニングさせていただくようになりました。もう4年になります。もちろん、レスラーになるつもりは、もうありませんけど、身体を鍛えて、レスリングを学ばせていただきながら、身体も感性もシャープにしていきたいと思っています」
 さらに、スネークピットの道場には、『ちゃんこの台所』というレストランも併設されている。宮戸さん自身がシェフとして腕をふるうここは、極上のちゃんこが、選手だけでなく、一般の人も味わえる至福の空間。今回、YEOのハギニワ氏も取材後、お腹いっぱい、おいしいお鍋料理をいただいた。
 高柳が中学生の頃に抱いたふたつの夢、歌手とレスラーという夢は30年後の今こうして、見事に実現したのだ。
「30代までは、音楽以外のことをするのがイヤでした。たとえば、親が倒れたとしても、薄情ですけど、歌を諦めるつもりはないし、邪魔されたくもなかった。でも今、親が倒れたら、僕は迷わず仕事を中断して、そっちを手伝います。だってそれも僕の宿命、僕のファドですから。またいずれ歌う場に戻るはずだし、その時、その経験も僕のファドに活きてくる。その自信があるんです。何があっても受け入れられます」
 そして、これから。
「人事を尽くして天命を待つ、じゃないけど、天命が来る、と信じてます。僕、自分で勝手に、ピークは50代だろうと思っているんです、歌も、ひとりの男としても。だから42歳でレスリングに出会い、またさまざまな出逢いの中で学んでいるのは、なんていうか、これからの人生に備えてインフラ整備しているような感覚ですね(笑)。有名になるとか、売れるとか、それを目指しているわけではないけれど、自分が役に立てる範囲で、いろんなところで使って欲しいとは思います」
 と、そこまで言って、もうひと言。
「とはいえ、もし天命が来なかったとしても、それはそれで恨みっこ無しかな、と。自分の夢に殉じるというか、そのほうがもしかしたらファド的には美しいのかもしれない(笑)。いずれにせよ、僕は僕を深めて、自分のファドを磨いていこうと思っています」

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【撮影協力】
 ちゃんこの台所 http://www.uwf-snakepit.com/chanko.html

  • 出演 :高柳卓也  たかやなぎ たくや

    1974年生まれ、東京都出身。中学時代からソウルミュージックに憧れ、16歳からヴォイス・トレーニングを開始。10代からソウルミュージック、ゴスペルを中心に音楽活動に励み、20代はいくつかのゴスペルグループ、男性ソウルコーラスグループのメンバーとして都内各地のライブハウス、教会、米軍キャンプなどでライブ活動を重ねた。一方20歳頃ファドに出会い、23歳でポルトガルに滞在している。2003年、ソウル、ゴスペルの活動に区切りをつけ、単身ポルトガルに渡った。長期滞在しながらポルトガル語を習得、ファド・レストランなどで歌いながらファドの真髄に迫り、日本人のファド歌いとして活動を開始。2007年に帰国後も毎年ポルトガルに渡り、現地のミュージシャンと交流しながらライブ、レコーディングなどを重ね、日本とポルトガル両国でファディスタとして活動を続けている。

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    取材/文:岡本麻佑

    国立千葉大学哲学科卒。在学中からモデルとして活動した後、フリーライターに転身。以来30年、女性誌、一般誌、新聞などで執筆。俳優、タレント、アイドル、ミュージシャン、アーティスト、文化人から政治家まで、幅広いジャンルの人物インタビューを書いてきた。主な寄稿先は『éclat』『marisol』『LEE』『SPUR』『MORE』『大人の休日倶楽部』など。新書、単行本なども執筆。
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  • 撮影:萩庭桂太

    1966年東京生まれ。東京写真専門学校卒業後、フリーランス・カメラマンとして活動開始。
    雑誌、広告、CDジャケット、カレンダー、WEB、等幅広いメディアで活動中。
    ポートレート撮影を中心に仕事のジャンルは多岐にわたる。
    「写真家」ではなく「写真屋」、作家ではなく職人であることをポリシーとしている。
    雑誌は週刊文春など週刊誌のグラビア撮影を始め、幅広い世代の女性ファッション誌の表紙を撮影中。
    http://keitahaginiwa.com/