「一番苦労したのは、ポルトガル語のニュアンスです。ひとつの単語でも、日本語ではこう、と直訳で理解したつもりでも、どこか違う。隣国で、とてもよく似ている言葉を使うスペイン人が歌っても、『違うな』っていう顔をされるくらいですから、日本人の僕が歌うとなおさらです」
 そんなとき、ある人の言葉が、力をくれた。高柳が思いあまって、先輩のファド歌手である女性に、相談したときのこと。
「自分で歌っていても、どこが良くてどこが悪いかもわからない。ポルトガル語も未熟だし、手探りの状況なので、お願いだからファドのことをもっと教えて欲しいと頼んだんです。すると彼女は、こう言いました。『TAKU、あなたに私のファドは歌えない。私もあなたのファドは歌えない。あなたの人生を、少しずつでもいいから、ファドにしていくのよ』と」
 ファドは、ポルトガルの民族歌謡。であると同時に〝運命〟とか〝宿命〟という意味も持つ言葉だ。その根底には、ポルトガルの美学である〝サウダーデ〟が秘められている。
「サウダーデという言葉は、郷愁とか哀愁と訳される言葉です。遠く離れてよりつのる思い、過ぎ去ってしまって、もう帰らないものへの哀惜の情です。
 ポルトガルは15世紀から17世紀、世界中の海を航行した大航海時代を経ているので、その時代、多くの人たちが何ヶ月も海の上を行く危険な旅をした記憶がある。海の上で遠い故郷を思い、空の果てを見て家族や愛する人たちを思った、その思いが根本にあるのではないかと言われています。時間も空間も遠く離れてしまったけれど、愛するものへの思いは強くなるばかり、なんですね」
 そのサウダーデは、21世紀の今も脈々と、ファドの中に息づいているのだ。
「そして、それを歌うファディスタ、ファドを歌う人間は、宿命や運命を背負っている。ファド歌いは神から与えられた宿命なんです。愛するものから遠く離れ、故郷を遠く離れ、失った時間や愛、宿命が、そのままその人の歌になるんですね。だから同じ歌詞を歌っても、歌う人によって言葉に血が通う。哀しみや痛みが詞をより力強いものにしていくんです。経験の浅い若い人が歌えば若いファドになり、年を経た人が歌えばそういうファドになる。すべてがファドです。でも、けしてその宿命を恨んだりしない。恨み節ではありません。運命を受け入れて、時には美化して、それを神からの賜物としてファドを歌い、生き抜いて行くんです」

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【撮影協力】
マヌエル・カーザ・デ・ファド https://manuel.jp/manuelyotsuya/