ジャズ・ヴァイオリンを学ぶため、20代後半でバークリー音楽大学に入学した牧山純子。ところがこの時点まで、彼女は〈アドリブ〉というものを知らずにいたという。
「クラシックはひたすら楽譜通りに演奏します、1音たりとも間違えないように。自分の解釈で勝手に演奏するなんて、ありえません。でもバークリーで最初のアンサンブルの授業のとき、渡された楽譜にはコード(和音の記号)があるだけで、音符がないんです。仕方ないのでぼーっとしていたら、〝何してるの? 君の番だよ〟って(笑)」
 入学時のテストでは、彼女のヴァイオリン演奏はピカイチ。それを評価されて上級クラスに入れられたことも、劣等感の元になったという。
「そこからは、地獄の日々でした(笑)。周りはスゴイ人ばかりなのに、私にはジャズのボキャブラリーすら、ないんです。クラシックではやってはいけないことが、ジャズでは日常茶飯事。今までやってきたことが、ここでは何も通用しないんですから。自由になっていいよ、というのが、実は一番つらいんですね」
 ここからが、牧山純子の正念場。
「もう、必死! かじりつくしかないんです。周りを見ていると、会ったばかりの人たちが、言葉も交わさず、リハーサルなしで本番に臨んで、すごく良い演奏をしている。不思議でした。しかもみんな笑顔だし、実際に言葉を交わすよりも、演奏を通じて強烈に結びついている。絶対に今、頑張らないと、この世界に入れてもらえないと思って、本当にすごい必死になって頑張りました。負けん気だけは、あるんです。気は強い、です(笑)」
 ところが。がむしゃらになって、ようやく自分なりにジャズの世界に足を踏み入れた頃、牧山純子の父親が病に倒れた。さらに、看病していた母親にも病気が見つかり、彼女はいったん、日本に戻ることになる。看病や介護は、彼女ひとりの肩にのしかかって、ひとりっ子って、そうだよね。
「バークリーと東京と、行ったり来たりしながら試験を受け、頑張りました。ボストンで小澤征爾さんや小曽根真さんと知り合い、いろいろ相談させていただいたり、話を聞いていただいたりして、励ましていただきました。日本に帰っても、落ち着いたらバークリーに戻ろうと思っていたんですが、結局それもかないませんでした」
 セレブな生まれ育ちでヴァイオリンの才能に恵まれた、苦労知らずの美女。そんなイメージが前面に出ているけれど、努力も苦労しないで輝く人なんて、実はいないのかも。
「共演者とかに、純子ちゃんは苦労を知らないでしょ、なんて言われますけど、いやいや、そうでもないんです(笑)。みんなそれなりに、いろんなところで、違う苦労はしてると思います。でも不幸な顔を見せても、全然良いことないですし、ね」