牧山純子が厳しい両親のもとから旅立ったのは、武蔵野音楽大学を卒業してからのこと。
「ヴァイオリンのソリストを目指して音大に進んだわけではないんです。誰も褒めてくれない毎日の中で、唯一うれしかったのは、親戚の結婚式でヴァイオリンを弾いたときでした。周りの親戚の人たちが、上手ね、可愛いわねって、みんなが笑顔になってくれた。それに、当時はバブルだったせいか、結婚式の披露宴で生の弦楽四重奏を弾いている人たちもいて、こういう仕事もあるんだ、だったら私も、と。それで、そのためには音大に進むほうがいいかな、と思ったんです」
 音大でさらにクラシック漬けの毎日を過ごし、卒業後、留学の話もあったけれど。
「親が許してくれませんでした。それ以前に、まだ学生だった頃、あるポップスのミュージシャンの方が苗場でコンサートをひらくので、そのサポートに出て欲しいと頼まれたんですけど、それすら〝泊まりがけの仕事なんて、何をされるかわからないから、絶対にダメ〟と(笑)」
 自分を覆う殻を打ち破って、今までとは違う新しい世界を見てみたい。そう思った牧山純子は、ここでようやく、両親の反対を押し切ることになる。
「アルバイトでお金を貯めて、ヴァイオリンのセミナーを受けるためにフランスの、フレーヌ国際音楽アカデミーというところに行きました。楽しかった! 人のお金じゃなくて自分のお金で行ったのが、大きかったと思います。それまで味わったことのない充実感があったし、ヴァイオリンを弾くことがこんなに楽しいことだったんだ、と、初めて気が付きました」
 そんな彼女に、さらにパワーを与えたのが、1枚のアルバム。
「アメリカ旅行中に買った、イツァーク・パールマンとオスカー・ピーターソンが作った『Side By Side』です。何も知らずに、パールマンだからクラシックのアルバムだろう、バッハかな、モーツァルトかな、と思って聴いたら、いきなり私の聴いたことのない音楽が流れてきた。〝何これ? すごい!〟って(笑)」
 それが、ジャズとの初めての出会いだった。
「私の生活にジャズは存在していなかったので、収録されていた『Misty』や『Mack the Knife』がジャズの定番曲だということも知りませんでした。でも雷に打たれたみたいに全身に衝撃が走って、生きる力がみなぎってきたんです。パールマンがこんなリズムを弾いてる! こんな音楽があるんだ! 私もやりたい! と思いました」
 そこで、ジャズ・ヴァイオリンを教えてくれる学校を探してみたら、当時の日本には見当たらなかった。行きついたのが、アメリカのバークリー音楽大学。
 こうなったら、もう止まらない。早速手続きを取り、渡米して入学したのだが。
「入って見たら、何もできない自分がいたんです。クラシックならある程度できるのに。ショックで、打ちのめされました」