そもそもは、お嬢さま。
「うちの両親が結婚して10年、子どもができなくて、初めてできたひとりっ子なんです。だからまあ、その、大切にされますよね」
 大切に、とはいえ甘やかされたわけではなく、大切に、厳しく育てられた。3歳からピアノ、4歳からヴァイオリンのレッスンが始まり、しばらくしてヴァイオリン1本に絞ったという。
「母がピアノの先生だったんです。ヴァイオリンの先生が厳しくて、さらに母が厳しかった。ヴァイオリンの譜面には先生からの指導が書き込まれているんですけど、伴奏譜には母の字で、もっと細かくいろいろなことが書き込まれていました。褒められたことは1度もありません。発表会が終わっても、1個所も間違えていないのに、『なんで今日のベートーベンの〈スプリング・ソナタ〉には感情がこもっていなかったの?』ってダメ出しです。だからヴァイオリンのこと、好きになれませんでした」
 しかもふだんから、家の中に流れる音楽はクラシックばかり。
「クラシック以外は音楽ではない、というのがわが家の常識で(笑)。テレビも、見ていいのはNHKの『大草原の小さな家』と『ニュース』だけ。当時流行っていたドリフターズとか『オレたちひょうきん族』は一切NG、『Dr.スランプ アラレちゃん』もお下劣だからダメ、『トップテン』や『ベストテン』も見ていると電源を切られました」
 恐るべし、英才教育。
「でも両親は、将来この子をヴァイオリニストにしよう、なんて思っているわけでもないんです。どこか良いところに嫁に行きなさいって、そう言われて育てられているのに、中途半端は許されないんですね。父も母も真面目な性格で、やるんだったらとことん、やる、という。後年、父には言われましたから、〝ゴルフをやるなら、練習場で1万パット打ってからじゃないと、ラウンドはさせないよ〟って。ふたりとも、スパルタの父と母でした」
 幼稚園から高等部まで、とびきりのお嬢さまばかりが入学する、田園調布雙葉学園に通った。
「朝早く起きてヴァイオリンの練習して、髪の毛を結んだり靴下を履く時間までも練習しなさい、それは親がやるからって。ずっと制服だったので、おしゃれしたいとも思わなかったですね。レッスンがあったのでフラフラ遊びに行くこともなかったし。自分がどういう洋服が好きなのか、何が好みなのか、わからなかった。何か好きなものがあったとしても、しょせん無理だと思って諦めていました」
 お嬢さまも、楽じゃない。
「ずうううっと、監視下にあったようなものです(笑)」