志う歌という名前は、ちょっと新鮮。聞いたことない。
「ウチの師匠(三遊亭歌武蔵)が見つけてきたんです。歌舞伎の世界に坂東志うかという名前があって、今のあの坂東玉三郎さんの養父・守田勘弥さんの幼名が、坂東志うか、だったと聞いています。今はその名前、使っている方はいらっしゃいませんけど。で、そのシウカっていう音の響きがキレイだから、お前、どうだ? って師匠に言われまして。
 他に、私なりにこれってのはあったんですが、字は好きにしていいって言われまして、それなら何かないかと考えたのが、〈志う歌〉。スマホで画数を調べてみたら、これがもう、最高の画数なんですよ。これ以上ないくらい良い名前になってしまったので、じゃあこれにするか、と(笑)」
 名前は大事。そして名前は、使っているうちに徐々に馴染んで、その人そのものになってくる。志う歌という名前は、彼が使うことで、いつか大名跡になる、かもしれない。
 で、この先どんな落語家をめざすか、というと。
「あのね、なんですかね、これを言うと、ウチの師匠から怒られるかもしれないけど、売れたいと思ったこと、一度もないんです。売れたいと思って落語をやるのと、そうじゃないのって、やり方が変わると思うんですよ、落語自体のね。売れたくて落語家になったわけじゃなく、私は、すごい落語をやりたいんです」
 言い切った。なるほど、この、歳に似合わぬ落ち着いた風情、そしておもねることなく気持ち良く笑わせてくれるのは、落語家として売れる、売れないという物差しを捨ててしまったからこその、境地だったのか。
「今現在の私だと、たいてい、真打になったばかりなのに面白いね、と言っていただける。今までは、二つ目なのに面白いね、と言われました。どっちにしろ、○○なのに、という装飾語が絶対アタマについてくる。それがイヤなんです。でもまあ、もうしばらくしたら、二つ目とか真打とかそういうのから解放されると思うので、そうなったときに自分に何ができるのか。
 すごい落語っていうのが、いったいどんなものなのか、私にもわかりません。わかりませんけど、聴いてくださった方が、『いや、とにかく聴いてみな、すごいんだよ、聴けばわかるよ』って知らない人に勧めて下さるような。そんなふうに言ってもらえたら本物かなって思います。
 あと、落語の中でもポピュラーな噺がいくつかあるんですけど、その良さがちゃんと伝わっていないように思えるんです。たとえば『片棒』とか、時間の都合で途中で切る方もいますが、フルで話すと後半すごく面白くなる。本当はもっと面白いんだ、こんなに楽しい噺なんだってことを、私が気付かせることができたら、いいな、と。それにはまあ、30年くらいかかると思いますけど。ええ、目標は高いんです」