今どき、落語家になろうなんて考えるのは、かなりの変わり者。なーんて思うかもしれないけど、実はそうでもない。3年ほど前の時点で、落語家の人数は800人以上。江戸時代以降、過去最多の人数だという記事があった。今なら1000人に近いかもしれない。何年に一度か周期的に、落語ブームと言われる時期がきて、弟子入り志願者がどっと増え、次から次へと、人気落語家が誕生している。
「増えてます。どうしてでしょうね? 自分でもできそうだと思うんですよ、私もそう思いましたから(笑)。人のを見てると、これ、自分にも出来るんじゃねーか? と思うんです。噺家の世界でよく言うのが、バカじゃ噺家にはなれないが、利口は噺家にはならないって」
 志う歌自身は大学に入るまで、落語なんて聴いたこともない、フツウの男の子だった。大学入学直後に落語研究会に誘われ、半分騙されたような形でついつい入ってしまい、いつのまにやら落語の魅力にどっぷり浸かった。プロになろうと3年生で大学を中退し、三遊亭歌武蔵師匠に弟子入り。15年を経た今は、江戸の空気をまとい、古典を語る本格派として、大いに期待されている。
「本当は、競艇選手になりたかったんです。高校生の頃、真剣に考えてました。競艇と落語って、共通点があるんですよ」
 競艇ってあの、ボートでギュイーンと走ったりする、あれのこと? どこが落語と似ているの?
「競艇は平和島なら平和島、戸田なら戸田に、ボートとモーターが用意されていて、選手はそれを抽選で割り振られるんです。与えられたモーターには当たり外れがあるけれど、それを自分で整備して調整する。プロペラも自分でガンガン叩いて自分流にアレンジしてからくっつけます。水温とか気温とか水面の状況とか見極めて、さらにコースによっても違うから手を加えて、その上で走らせる。そこがもう、落語と一緒です。
 落語も古典の演目というエンジンを与えられて、それをこの場所この時間、この観客の前でどう工夫して演じるか。エンジン全開で進んでから、どこでどうブレーキをかけるか。ブレーキの踏み方ひとつで、お客さんの食いつきは全然変わってくるんです。今はそれがすごく面白いですね」
 つまり、与えられたものの中で、一から十まで全部自分でカスタマイズするところが、共通項。不自由そうだけど実は自由に、自分らしさを打ち出していけるものらしい。
「ですね。何をやるにしても、全部自分でやりたいんだと思います。そういう商売しかできないんだと思う。結局、なぜ競艇選手にならなかったかというと、目が良くて身長低めで体重軽めじゃないと、無理なんです。身長も体重も視力も、全部ひっかかるんですよ」
 落語家はきっと、志う歌の天職、なのだろう。