アメリカ映画に1本出たからといって、ハリウッドは佐藤乃莉をすぐに歓迎してくれるほど、甘くはなかった。
「英語ができないので、演技の仕事はなくて、たまにモデルの仕事が入るくらいでした。仕方ないのでナニー(子守)のアルバイトをしながら、赤ちゃんと同じ部屋で寝泊まりするホームステイを見つけました。朝の8時半から夜の8時半までは、語学学校。お金がないので、ガバメントがやっている移民用の学校です。で、学校に行く前、朝5時に起きて公園で木刀振ってました、600回。アジア系の俳優はみんなアクションができると思われているので、それに対応するためです。あとはジムに行って、一番強そうな人に〝私は将来有名になるから、タダで教えてくれませんか?〟ってお願いして、キックとか格闘技の技を教えてもらいました。で、夜は夜で、公園で木刀の素振り600回です」
 尻尾を巻いて日本に戻ろうとは、思わなかった。
「やれるだけやろう、と思ったんです。学校に行かなかったのもそうですけど、自分が納得しないと動けないし、その逆で、やると決めたらやれる。お小遣いは1日1ドル、使うかどうか、みたいな。しんどかったですよ、今思えば。人生で一番、頑張った時期です。見た目も完璧を目指して、黒髪を伸ばして東洋人美女っぽくしていたし、座り方も目の動かし方も手の仕草も、なにもかも考えて行動していました。あれは・・・・修行でした」
 23歳から4年間、そんな日々が続いた。
「やるだけやって、それでも仕事が入ってこないのなら、よし、いったん帰ろうと思って日本に戻りました。あまり年齢を重ねてしまうと、今度は日本での活動が限られてしまいますから」
 日本に戻り、変化を感じたのは、街の風景でも人々の態度でもなかった。一番変わったのは、佐藤乃莉。自分自身だった。
「自分で自分のこと、好きになれたんです。ちゃんと人生で頑張ったことが、自信になったのかもしれません。アメリカに行く前は、みんなが自分をどう見ているかが気になったし、自分がこうありたいというイメージを保つのに精一杯だったけれど、日本に戻ってからは、何よりも自分を大切にしよう、自分らしくいるのが一番だと思うようになりました。そこからがまた、大変だったんですけどね。本当の自分がどんなだったか、取り戻すのはけっこう難しかった。1から始めました。お風呂は熱いほうが好き、とか、花なら黄色い花が好き、とか。自分のことを知ることから始めて、あれだこれだと詰め込んできたものを削ぎ落として、ようやく最近になって、本来の自分を取り戻せたような気がします。そして今、毎日がとても楽しいです」