高校卒業後、新潟で活動していた佐藤乃莉は、1年後に上京。女優を目指して、売れっ子モデルや人気女優が在籍する、某大手事務所に所属した。ところが。
「事務所に行ったとき、たまたまそこにあった書類を見てしまったんです。そこには私の名前、佐藤乃莉のあとに、〈バラエティ〉と書いてあった。あ、これじゃあ絶対、役者の仕事はできないな、と思って、すぐにその事務所を辞めました」
 そんな頃出会ったのが、ある映画監督。
「その人に『佐藤さん、面白いね。知り合いのマンガ家がいるんだけど、会ってみる?』って言われて、そのマンガ家さんに会ったら、『僕の作品に出てくる女の子役にぴったりだから、やる?』って言われたので、『ありがとうございます』って。『演技できるでしょ?』って言われたので、『できます!』って。演技なんて1回もやったことないのに。それが最初の映画『LOVE DEATH―ラブデスー』なんです」
 なんてラッキー! もちろん、佐藤乃莉にサムシングがあったからこそ、監督も原作者もそれに魅せられたからこその急展開だけれど。そして、状況はさらに飛躍する。
「その作品を撮った監督が、次回作を撮るためにハリウッドに行くことになったんです。で、向こうのプロデューサーに最新作を見せろと言われたらしく、私が主演したその『LOVE DEATH』を見せたら、『この子いいじゃないか』ということになり、私もハリウッドに呼ばれて、オーディションを受けたんです」
 役柄はヒップガール(HIP GIRL)、ちょっとセクシーな女の子。
「とりあえずプロデューサーに会って、『ハーイ、アイム ユア ヒップガール!』とか言ったら笑ってくれて、『OK、君で決まりだ』って。それが私の2作目、ハリウッド作品。もう、ビックリですよね(笑)」
 ていうか、すごい展開。ところが。
「でも私、アルファベットのABCDの次が、わからないじゃないですか。学校行ってないし、英語の授業受けてないから。ネゴシエイションだけで学校卒業しちゃったんで、英語の台詞なんてしゃべれない。どうしたらいいんだろう? って」
 その日から、フレーズをそのまま丸呑みする、英語の特訓が始まった。
「その作品の最初の設定では、私の台詞はFワードばかりだったんです。だから道を歩きながら、〝F×××! F×××!〟って連発して、アブナイひとでした(笑)。結局、君はビッチには見えないから台詞を変えるね、と言われて、Fワードは必要なかったんですけど(笑)」
 そこから4年間、佐藤乃莉のアメリカ生活が始まった。