アイドルだった期間は、たった5年間。21歳の時、結婚を機に芸能界を引退した。
「さらっと辞めましたね、アイドルを(笑)。私は歌手である自分にコンプレックスを持っていたから、未練はなかったんです。もともと姉が歌手をやっていて、私は中学生の頃、雑誌のモデルをしていました。姉の関係者にスカウトされて、ある日突然歌手になったわけです。運良くデビュー曲の『芽ばえ』がヒットしたけれど、自分の気持ちがついていかない。歌の世界には怖い先輩もいたし、実力派の人たちばかりで、私とか親友の浅田美代子は、しょっちゅう〝ヘタクソ〟って言われていました。今にして思えば、〝それでも頑張れよ〟って励ましてくれていたのかもしれませんけど、当時の私はストレートに受け止めて、毎日家に戻ると泣いていました、〝つらい、つらい〟って。自分が売れているのは、楽曲が良いからであって、今だけのこと。ずっと歌い続けるのは無理だなって、すごく醒めていました」
 引退して結婚、2年後には娘が生まれ、専業主婦となったけれど、6年後に離婚。芸能界に復帰した。
「当時は、すごい逆風でした。一度辞めた人間が戻ってくるなんて、と、風当たりがめちゃくちゃ強かった。シングルマザーなんて言葉もありませんでしたしね。歌手として再スタートを切れと言って下さる方もいたけれど、私としては、もう一度やるからには、もう言い訳は効かない。ずっと長く、オバアチャンになるまでやれる仕事をしたいと思って、歌ではなく、芝居を選んだんです」
 とはいえ、芝居に自信があったわけでもなく。
「芝居のうまい人は世の中に100万人いるんですよ(笑)。その中で、私は麻丘めぐみという名前があるから、どうにか使ってもらえた。だからその分、頑張らないといけなかったんです」
 80年代から90年代、映画に出たり、テレビドラマに出たり、舞台に立ったり。
「一番好きなのは、舞台ですね。ひとつのものをみんなで作っているという感覚、その中のひとりだということが精神的にすごく落ち着くし、みんなと芝居するうちに自分の芝居が変わってきたり、先輩たちの芝居を見ていると勉強になるし、刺激がすごくあるんです」
 女優修業の中、刺激を与えてくれたのは森繁久彌、乙羽信子、山岡久乃などなど、今は亡き大御所たちだった。
「乙羽さんに言われました、〝あそこの台詞の音が違うのよね、今ここであの台詞、言ってごらんなさい〟。そうやって親切に教えて下さるんです。山岡さんは千穐楽の日に〝初日は小学生程度かと思ったけど、短い間に成長して、高校卒業したくらいにはなったわよ〟って(笑)。本当に、ありがたかったです」
 その山岡久乃に言われたことが、もうひとつあった。
「〝あなた、そんなに車ばかり乗っていたら、歳取ってから足が動かなくなるわよ。いつまでも舞台に立ちたいんだったら、歩きなさい!〟って言われていました。舞台は本当に足腰が大事で、時代劇の着物姿ではとくに、立ったり座ったり中腰だったり、足腰強くないと出来ないんです。山岡さんご自身、よく歩いてましたね。地方公演のとき、毎朝ホテルから劇場までテクテクと。でも私は面倒臭くて、すぐタクシーに乗ってしまう。ふだんもずっと車に乗っていたんです(笑)。で、この歳になってから、いざ歩こうと思ったら、ヘロヘロ。階段なんかメタメタ。全然、歩けないんですよ!」
 そこで、家の周りを歩くことから始め、徐々に距離と時間を延ばして、今ではウォーキングが趣味のひとつ。毎日最低でも30分、時には1時間以上、好きな音楽を聴きながら、歩き続ける。
「なんでも聴きます。今流行っているJポップとか、あいみょんとか米津玄師とか、セカオワとかマッキーとか、平井堅とか。エド・シーランにテイラー・スイフトも。あ、いいな、と思ったら即ダウンロードして、ずうっと聴きながら、歩いています」