メジャーデビューしたものの鳴かず飛ばず、だった沢は、28歳で独立した。
「この25年、音楽業界はものすごい勢いで変わってしまったけれど、私は独立していたおかげで、何も変わらずに続けることができました。独立のきっかけは、私を担当してくれていたプロデューサーと結婚したこと。その時から私は自分の会社を作って、インディーズとして完全に独立し、自分のしたい仕事を好きなだけできるようになったんです」
 デビューアルバムで一緒に仕事をしたジョージ・デュークの影響も、大きかったという。
「彼はパーフェクトなミュージシャンであり、教養人であり人格者であり、しかもビジネスマンでもあったんです。アーティストと対峙するときは真剣だし、エモーショナルな一面もある。だけどビルボードのチャートは常に意識していましたし、お金の大切さもわかっていました。社会人として最初の仕事で一流の人に会えた、というのは、ラッキーでした」
 現在までに28枚のアルバムを発表。求められれば、そして採算が合うのなら、日本中どこにでも赴き、ピアノを弾き、歌を歌う。
「今は、年間50本のコンサートを日本各地でやっています。自分で企画するものと、人から依頼されるものとのバランスがあるので、波がありますけれど。たくさんやりすぎると、言葉が疲弊していく実感があるんです。ひとつひとつのコンサートが手作りなので。小料理屋で言うと、お客さんの顔を見てから出すものを変えるので、たくさんはできないですね」
 たとえば行く先々の風土によって、喜ばれる歌はちょっとずつ、違う。
「北海道では、花の歌を入れます。夏が短いから、でしょうか、北海道の人は花の歌が好きなんです。九州、とくに北九州はブルースですね。で、私、さだまさしさんの『関白宣言』を『逆関白宣言』にして歌っているんですけど、それは北陸で受けます。まだちょっと保守的な、女性が抑圧され気味な土地柄なのかもしれませんね。同じ歌を東京で歌っても、受けません。女が強くて当たり前でしょ、って(笑)」
 優しい歌も、哀しい歌も、楽しい歌もある。大人が楽しめるコンサートだ。
「歌っているけど、ひとり芝居でもある、そう思っています。アメリカでしばらく高校時代を過ごしたことがあるんですが、ある夏のサマーキャンプに参加して、そのときアフリカ系アメリカ人女性の、ひとり芝居を見たんです。内容は忘れちゃったんですけど、カッコイイ! という衝撃だけは覚えています。女ひとり、最初から最後まで舞台を作って。私も、ひとりで弾いてひとりで歌っていますから」
 一般の人に聞いてもらうコンサートの他に、少年院などでも精力的に歌っている。
「少年院では、こんな話を聞きました。ある日、炊事場のオバサンが、『今日はおにぎりを握りたいから、ご飯の時間が30分遅れます』って言ったんですって。みんなご飯だけが楽しみなので『えー!』って不満そうな声をあげたけど、いざおにぎりが出たら、黙って食べながら、子どもたちの肩が震えていたんですって。人間の手で握られたおにぎりを、初めて食べた。そのおいしさに、涙が出たって。少年院に入って、初めて歯の磨き方や箸の持ち方を教えてもらった、という子も、けっこういるんです。その話を聞いて、私はもう、たまらなくなってしまった。その話を聞いてからは、おにぎりを握ってあげる気持ちで、歌いたいと思いました」
 自身も今は、中学生の娘と小学生の息子の母親だ。
「少年院の子たちに向かうといつも、申し訳ないなと思います。だって私自身、そういう子たちを生み出した社会を作っている大人のひとりなんですから。本当にごめんなさい、っていう気持ちで歌っています」