歌手になるのは、小さい頃からの夢だった。
「小さい頃から、とにかく歌手になりたかったんです。テレビにバンバン出るような、華やかな歌手というものに憧れていました。たとえば、松田聖子さんみたいな。ちょっと大きくなってからは、アメリカのMTVも大好きでした」
 高校でガールズバンドを組み、ヴォーカルを担当。
「歌っていたのは当時の定番、プリプリとかレベッカとか。英語で歌えるからマドンナなんかも歌って、学園祭では大受けでした。で、コンテストに出れば必ずベスト・ヴォーカル賞でした。ちょうどその頃、父が病気で亡くなったんですが、亡くなる直前に、『好きな音楽をやりなさい』という言葉を遺してくれたんです」
 そこで沢は、音楽をじっくり学ぶことにした。〈音楽とはなんぞや?〉という自分の問いに答えるべく、東京藝術大学楽理科に進学したのだ。
「一年間、火がついたように受験勉強して、入りました。でも大学には、私の問いに対する答がなかった。仕方なく、夏休みの間、ライブハウスで歌うことにしたんです。
 歌っていると音楽関係のオジサンたち、レイバンのサングラスかけたオジサンが名刺持ってきて、『君、歌うまいね。連絡ちょうだい』って、そういう時代です。でも、これでデビューしちゃマズイなって思ったのが私らしいというか。このままじゃ消費されて終わるな、と思ったんですね」
 デビューを勧める音楽事務所の社長に、沢はこう言った。『私はまだデビューしたくない。30歳まで人生を深めてから、お願いします』と。
「ホントに生意気、困ったでしょうね(笑)。でもその社長は優しくて、『じゃ、誰がプロデュースすると言ったら、デビューアルバム作る?』って聞いてくれたんです。だから私はダメモトで『ジョージ・デューク!』って。当時彼がプロデュースしていたアル・ジャロウとかダイアン・リーヴスがすごい好きだったから」
 これで話は終わった、と、思っていたら、1週間後にその社長から連絡が来た。
「『パスポート持ってる? ロスに行こう。ジョージが会いたがっている』って。そのままロスに行って、3ヶ月かけてレコーディングして、大学にはエアメールで休学届を出しました」
 時はバブルのフィナーレあたり。大型新人・沢知恵は、華々しく売り出された。
「宇多田ヒカルになるはず、だったんじゃないかな(笑)。英語できて、ロングソバージュで、歌もそこそこ歌えたので。でも、そこからずっと低空飛行でした」
 いったい、なぜ?
「みんなの言うこときかないから、でしょうね(笑)」