俳優養成所に入った久下恭平に、ある出逢いが待っていた。クラスメイトのひとり、25歳と同級生の中でも年上のその彼は、地元北海道で劇団を主宰していた実績があり、東京で舞台音響の仕事もしていた。
「どの授業をしても彼はめちゃくちゃうまくて、先生にもすごい褒められていました。すごいな、と思って、彼と一緒にいたら面白いことがあるかもしれない、と思った。仲良くなって、すぐに彼の家に居座るようになりました。たくさん本も借りて、演劇の話をしてくれて。で、2人で演劇ユニットを組むことになったんです」
 相棒となった彼の脚本をもとに、公演を企画。大道具を自分たちで作り小道具を集め、劇場をおさえ、音響や照明ももちろん自分たちでなんとかする。気が付いたら久下恭平、どっぷりと演劇にハマっていた。
「自分たちでゼロを1にするっていう作業に、夢中になりました。演劇を作ること全部が好きになったんです」
 スタートは、小劇場。コアな演劇ファンはいっぱいいるけど、足を運んだことのない人にとってはその魅力、伝えるのはなかなか難しい。そこで久下に説明してもらった。
「あの距離感がもう、僕にはたまらないです。本当に至近距離で演じているので、まばたき1個、視線をちょっとそらすだけでも、客に伝わってしまう。その嘘のつけなさが、すごく僕は好きです。もともと舞台って、虚構ですよね。話自体は嘘なんですけど、リアルではないという大前提の中で、嘘を本当にする。大きな劇場でもそれは同じなんですが、目の前に役者がいて、客がいる、その空間の中で今、息を吸ったことまでわかる。そのワクワク感が、小劇場の醍醐味だと思います」
 とはいえ、小劇場で役者やっていてもお金にはならないって、よく言いますよね?
「正直、初めはもう、びっくりするくらい、お金なかったです(笑)。小劇場といってもいろいろあるので全部がそうだとは思いませんが、最低限、このくらいの客を呼ばないとね、っていうのはあるんです。たとえば30人お客さんを呼べたら、そこで初めて赤字じゃなくなる。31人目のお客さんのチケット代金から、利益が出るんです。なので全公演やってもギャラが何千円、みたいなことがずっとありました」
 そんな状況から抜け出せたのは、養成所を出てから3年くらい経った頃。
「お客さんもついてくださるようになって、ひと公演あたりいくら、という形でお金をいただけるようになったときは、家でずっと泣いたくらい、うれしかった。親にもすぐに電話して報告しました」
 固定ファンがついたってことですね?
「その、ファンという言葉を使うのが僕、苦手なんです。他の役者さんたちがその言葉を使うのは全然気にならないんですけど、自分がそう言うのは〝ちょっと偉そうやな〟と思っちゃう(笑)。〈僕が公演に出るときに必ず応援してチケットを買ってくれる人〉が、増えてきてくれた、ということです。面倒臭くてスミマセン(笑)」