2 インストラクターから経営者に
豊島香奈子
- Magazine ID: 3911
- Posted: 2019.09.10
豊島香奈子がフィットネス業界に入ったのは、22歳のとき。痩せたいと思ってジムに行き、そこで見かけたエアロビクスのインストラクターが〝カッコイイ!〟と思った。
専門学校に通って資格を取得、数々のオーディションを突破して、花形インストラクターとして活躍した。
その後、結婚、そして出産。もう一度現場に戻り、そこで彼女は考えた。
「もう一回、何か新しいことに挑戦したいな、と思ったんです。インストラクターだけじゃなく、もっと別な何かができるんじゃないかって。それで思いついたのが、ボディビルでした。もともと私は筋トレが好きだし、『ターミネーター2』のサラ・コナーが好きだったんですよ。あの鍛え抜いた背中がカッコイイと思って、自主トレしていたんです」
とはいえ、エアロビクスからボディビルへ、すっと移行したわけではなく。
「悩みました。でも、やって後悔するのと、やらずに後悔するのと、死ぬ間際にどちらが後悔が少ないだろう? そんなことを考えたんです、自分で。じゃあ、やって後悔しよう、と思って」
後悔するどころか、あれよあれよと、4年連続コンテストで優勝することができた。
だからこそ、ボディビル競技から引退した後、彼女は女性専用のインストラクターになることを選んだ。
「いくつで始めても、自分を変えることができる。それがボディビルの魅力なんです。私が始めたのは30歳、競技に初めて出たのは32歳のときです。でもそこから、やれば変わります、身体も心も。そのことを同年代の女性たちに伝えたかったんです。私のまわりにいる女性たち、主婦の人が多かったんですが、トレーニングを教えるのは、一緒に変わっていく、一緒に成長していくようで、本当に楽しかったです」
その後、同じように女性専門のジムを作りたい、という企業に誘われ、プロデューサーとして参加。女性専用プライベートジム『CREBIQ』を立ちあげ、ジムの顔、代表トレーナーとして働いた。そして1年半ほど経った頃、今度はジムを引き継いで経営しないかと打診されたのだ。
「驚きました。経営者になるつもりは、ありませんでしたから。いろいろ迷って悩んで、でも思い切って事業を引き継いだのが、2017年です。スタッフたちと信頼関係を築いて、一緒に働いていこう! とみんなと改めて協力態勢を作るのに1年近くかかりました。そこから、今があるんです」