『阿佐ヶ谷スパイダース』の今年の公演を取材に行って、次に案内されたのは、稽古場の2階にある小部屋だった。オモチャが散乱し、片隅では子どもがひとり、熟睡している。その子を見守っている人もいる。どうやらここは『阿佐ヶ谷スパイダース』の〈子ども部屋〉らしい。託児サービス付き劇団、ということですか?
福澤 昨年、阿佐スパが劇団になり、僕ら長年やっていたスタッフとかも劇団員になって新しく始めるにあたり、いろんな試みをしていこう、ということになったんです。その中のひとつに、子どもがいる稽古場があってもいいのではないか、と。
下村 場所は確保して、長時間子ども達だけにするわけにもいかないので、手が空いた人が交代で様子を見に行っています。それに子どもたちも用があると稽古場に降りてきて、お父さんお母さんをつかまえて、おやつ食べたいだの、駐車場で水遊びしたいだの(笑)。
福澤 彼女は8年くらい前までずうっとスタッフとして働いていたんですけど、結婚と出産を機に辞めざるを得なかったんです。それを今回、託児所があるからと声をかけて、8年ぶりに戻ってきてもらった。
下村 まさか、子どもがいて演劇の仕事ができるとは! そんなことは不可能だと思っていたので、びっくりしました。絶対に演劇には戻れないと思って、わざと芝居の世界から目を背けていたくらいです。私が20代の頃は、女性スタッフのライフプランの選択肢が極端に少なかったように思えました。
福澤 演劇界は遅れていたんですね。今、ふつうのオフィスでも少しずつ、子育てには協力的になっているじゃないですか。それに実は僕、あの東日本大震災の後、阿佐スパの3人と一緒に仙台のほうに行って、ちょっと演劇活動をしていた時期があったんです。そこで地方の演劇人たちと触れあうと、みんなお勤めをしながら、お子さんを抱えながら、ちゃんと生活しながら、報酬を得るためじゃなく、生きるための糧として演劇に携わっている。東京だと採算が取れないとやっちゃいけないみたいに言われがちだけど、地方ではそれができるんですね。だったら東京でも、お勤めしていても家庭を持っていても関われるような演劇の場所があってもいいんじゃないか、と。
下村 それで、一般向けにスタッフ募集したときに、その項目も付けたんですよね。
福澤 すると、中にはお子さんを抱えて、演劇をまったく見ることもできなくなったけれど、週に1回、午前中しか来れないけれどなにか手伝えることはないか、という人もいた。そういう人こそ、ぜひ、と思いました。
中山 子ども達にとっても、かなり楽しいみたいです。だいたいいつも、稽古場から帰りたくないって言うし(笑)。この子ども部屋も最高で、こっちもたまにのぞいたり、子どもたちも何かあれば降りてくるけど・・・・、でも大人の目がなくて、これだけ長い時間子どもだけで遊べる環境って今なかなか無いと思うから、新鮮なんだと思いますよ。
下村 稽古場の2Fに〈子ども部屋〉があるので、子どもたちの声が稽古の邪魔になることも少ないですしね。
中山 稽古時間が変わったことも大きいよね。家族と過ごす時間を作ろう、ということで、稽古は大体17時には切り上げることにしました。そうすれば、家族と一緒に夕飯を食べられるから。福澤君も、他にも仕事があるから忙しいだろうけど、月のうち半分くらいは子ども達と一緒に夕飯が食べられるようになったんじゃない?
福澤 そうですね。大体稽古の1ヶ月はパパとご飯を食べられない、というのが当たり前だったけど、阿佐スパの仕事だと稽古中なのにパパとご飯が食べられる。それは家族にとって非常に大きいです。
下村 10代20代でお芝居を始めた頃は、そんな想像できなかったけれど、今こうして福澤さんや中山さんたちと子育て談義をするようになるとは(笑)。人生って、おもしろいなぁと思います。

——————————————————————————————————————————————————-
(写真右から)

下村はるか●しもむら はるか 劇団制作・演出部 以前から『阿佐ヶ谷スパイダース』主要スタッフだったが結婚、出産を機に約8年現場から離れていた。昨年から現場に復帰。
「10代、20代、30代、阿佐スパやってます」

中山祐一朗●なかやま ゆういちろう 役者、物販Tシャツのデザインも担当。
「夏が好きです。その夏が稽古三昧になってしまうことだけが、少し残念です、へへっ」

福澤諭志●ふくざわ さとし 舞台監督・カンパニープロダクションマネジャー(劇団運営) およそ25年、舞台監督として活動中。『阿佐ヶ谷スパイダース』が劇団となってからは多岐にわたり、新しい役割に挑戦している。
「ふだんの職種と違う携わり方は大変だけど、そこを楽しんで頑張ります」