ジストニアという病気は、全身あるいは身体の一部がねじれたり硬直、痙攣する神経系運動障害。ある動作をしようとすると症状が出る、という例も多い。西川さんの場合、ピアノを弾こうとすると手の指が内側に曲がるというものだった。日常生活には何の影響もないのにピアノの前では、はさんだ割り箸が折れるほど、強く曲がってしまうという。

「原因は不明ですけど、僕が思っている原因は、強いプレッシャーと劣等感です。表舞台に立ったら、アメリカのマスコミは概ね好評だったんですけど、日本サイドからは不正確な演奏だとか解釈が違うとか、いろいろ厳しく批評されました。それらをはね返そうとして、カチコチになりながら極限以上に練習しちゃったんです。精密検査を受けてみると、完全に手指の神経がおかしくなっていました」

 アメリカでも日本でも、医療機関には〝2度とピアノは弾けないだろう〟と診断された。一時期は深刻なウツ状態に陥ったものの、その後、自力で回復への道を模索し始めた。

「自分のイマジネーション、想像力を使って脳を刺激して、指を動かす訓練をしました。ドの鍵盤を押して、音が出るとその指をなでながら〝よくやった、エライぞ!〟って。その積み重ねで右手の5本と左手の2本の指が、少しずつ少しずつ動くようになったんです」

 オペラ歌手・田村麻子さんとの出会いも大きかった。彼女は西川さんの窮状を知ると、〝私の伴奏をして。指が動くようになったら、いつか一緒にコンサートをしましょう〟と励ましてくれたという。

「ずっと家政夫の仕事をして食いつないでいたんですけど、麻子さんの伴奏で久しぶりにピアノの音を出したら、もうね、死にかけていた金魚が、きれいな水の中に放り込まれて、うわっと泳ぎだしたような気持ちになりました」

 自分なりに弾けるよう、曲をアレンジして、レパートリーも増えていった。正確な運指はできない代わりに心を込めた、歌うような演奏ができるようになった。伝統的な奏法とは異なる、7本指のピアニストが、誕生した。

  • 出演:西川悟平(にしかわごへい)

    1974年、大阪府堺市生まれ。JHCFoundation,Incグリニッチ国際音楽院ディレクター。米日財団会員。15歳からピアノを始め、3年後にニューフィルハーモニー管弦楽団とピアノコンチェルトを共演。99年、巨匠、故ディヴィッド・ブラッドショー氏とコズモ・ブオーノ氏に認められ、ニューヨークに招待される。同年、リンカーンセンター・アリスタリーホールにてニューヨークデビュー。翌年より定期的にカーネギーホールにて演奏。01年、両手の演奏機能を完全に失い、ジストニアと診断された。リハビリにより右手の機能と左手の指2本を回復させ、現在に至る。著書に『7本指のピアニスト』(朝日新聞出版)。

    オフィシャルブログ http://goheinishikawa.blogspot.jp/

  • 取材/文:岡本麻佑

    国立千葉大学哲学科卒。在学中からモデルとして活動した後、フリーライターに転身。以来30年、女性誌、一般誌、新聞などで執筆。俳優、タレント、アイドル、ミュージシャン、アーティスト、文化人から政治家まで、幅広いジャンルの人物インタビューを書いてきた。主な寄稿先は『BAILA』『éclat』『marisol』『LEE』『SPUR』『MORE』『大人の休日倶楽部』など。新書、単行本なども執筆。

  • 撮影:萩庭桂太

    1966年東京生まれ。東京写真専門学校卒業後、フリーランス・カメラマンとして活動開始。
    雑誌、広告、CDジャケット、カレンダー、WEB、等幅広いメディアで活動中。
    ポートレート撮影を中心に仕事のジャンルは多岐にわたる。
    「写真家」ではなく「写真屋」、作家ではなく職人であることをポリシーとしている。
    雑誌は週刊文春など週刊誌のグラビア撮影を始め、幅広い世代の女性ファッション誌の表紙を撮影中。
    http://www.haginiwa.com/