映画祭の期間中、釜山の街には映画ファンだけでなく、たくさんの映画関係者が街を歩き回っている。運が良ければ、レストランで食事中の人気女優や、居酒屋でスタッフと飲み会をしているイケメン映画スタアに遭遇することも。
 YEOもある時偶然、ホテルのラウンジでくつろぐキム・ジミさんを発見した。韓国映画界を背負ってきた名監督がずらりと並ぶ、その中心に座って、艶然と微笑んでいる。

「昔は日本にもよく行きましたよ。勝新太郎さんや佐久間良子さんともお会いしました。大映の永田社長さん、日活の社長とも…。40年、50年も前の話ね(笑)」

 こちらが日本人だとわかると、流暢な日本語で話しかけてきてくれた。・・・・なんだか申し訳ないような、ありがたいような、複雑な気持ち。
 ともあれ、彼女は74歳になる今も十分に美しく、華やかでエレガント。〝東洋のエリザベス・テイラー〟と呼ばれていただけあって、そのカリスマ性はハンパない。700本以上の映画に出演、1960年代の最高の俳優のひとりであり、伝説的な存在なのだ。
 そんなキム・ジミさんに聞いてみた。長いキャリアの中で、一番印象に残っているのは、どの作品ですか?

「『チケット』という映画です。韓国がオリンピックに向けて近代化を目指す中、まだまだ貧困に苦しむ人達もいた。そういう現実を見失ってはならないと思って作りました。私は自分の過去の作品を見ると、いつも自分の力不足で悔しい思いをするのですが、この作品に関しては満足しています」

 そばにいた韓国映画界きっての社会派映画監督チョン・ジヨンさんが、こっそり教えてくれた。

「彼女は、まるごと韓国映画みたいな人なんだよ。60年代、映画の勉強をしたい若者たちにとっては、恋人みたいな存在だった。しかも80年代以降は自分のプロダクションを立ちあげて、良質の映画を何本も作り、主演した。意見もはっきり言うし、行動もする。〝女丈夫〟という言葉がぴったりの人だね。『チケット』も彼女のプロダクションで制作した作品で、当時彼女は50代だったけど、オールヌードになった。映画への愛というか、映画人としての覚悟が伝わってきて、感動しました」

 韓国の映画は今や世界的に評価が高く、人気もある。釜山国際映画祭も、アジア圏最大規模を誇るようになった。

「私たち世代が一生懸命頑張ってきた、そのおかげもあると思いますよ(笑)」

 もちろんですとも!

  • 取材/文:岡本麻佑

  • 撮影:萩庭桂太

    1966年東京生まれ。東京写真専門学校卒業後、フリーランス・カメラマンとして活動開始。
    雑誌、広告、CDジャケット、カレンダー、WEB、等幅広いメディアで活動中。
    ポートレート撮影を中心に仕事のジャンルは多岐にわたる。
    「写真家」ではなく「写真屋」、作家ではなく職人であることをポリシーとしている。
    雑誌は週刊文春など週刊誌のグラビア撮影を始め、幅広い世代の女性ファッション誌の表紙を撮影中。
    http://www.haginiwa.com/