今回登場いただくのはビーチバレー選手の浦田景子さん。YEOに現役スポーツ選手が出るのは初めてということです(スポーツ界はいろいろしがらみが多いという主に大人の事情から)。ご多分にもれず、きれいに日焼けしています!

 ところで、ビーチバレーという競技は知っているとしても大方の人は「砂浜でやるバレーボールでしょう?」くらいの認識でしょう。私がまさにそうでした。しかし、インドアのバレーボールとビーチバレーは、知れば知るほど“まったく別の競技”です。2つの競技を比べてみると……。

インドアは屋内、ビーチバレーはアウトドアで行なう。
インドアは6人制、ビーチバレーは2人制。ビーチバレーはポジションが定められていない。
コートの大きさがインドアは18×9メートルに対して、ビーチバレーは16×8メートル。

 以上は主なレギュレーションの違いですが、もちろん、ユニフォームがぜんぜん違うのは、ご存知の通りです。女子のビーチバレーはビキニが主流。そして、裸足でプレーします。砂浜で、裸足で競技を行なうことから、ビーチバレーはインドアとは異なる独自のスキルが必要になります。

 お決まりの、そしてベテランの浦田選手には今さらともいえる質問をしてみました。

「ユニフォームに抵抗はありませんでしたか?」

「最初は抵抗がありましたが、それよりもとにかく“勝ちたい”と思う気持ちの方が強くて、恥ずかしいなんて言っていられなくなりました」

 はい。愚問にまじめに答えていただいて、恐縮です。

 ビーチバレーは1996年のアトランタオリンピックから夏季オリンピックの正式種目になりました。日本で初めてビーチバレーの試合が開催されたのは1987年。その後、2004年に浅尾美和選手がインドアから転向したことでビーチバレーは注目を集めるようになりました。

 浦田選手は2000年にインドアからビーチバレーに転向、かおる姫こと菅山かおる選手や、浅尾美和選手とペアを組んだこともありました。

 こうして浦田選手に話をうかがううちに、ルールやユニフォームだけでなく、インドアとは全く違うビーチバレーの魅力が明らかになってきました。それは追々書いていくとして、そもそも浦田選手はなぜ、ビーチバレーに転向したのでしょうか?

  • 浦田景子

    福岡県出身。1977年生まれ。
    九州女子高を経てタイガー魔法瓶に入団、1998年に退団。その後、4人制の大会出場をきっかけに2人制のビーチバレーを知る。遊びの感覚でビーチバレーをはじめるも、福岡県代表として日本選手権に出場。2000年にバレーボールからビーチバレーに転向を決意する。プロの世界を目指すために、多くの選手にとってのビーチバレーの拠点である神奈川県に福岡県から移住。
    2012年、浅尾美和とペアを組みメディア、雑誌、ラジオを通じ多くの注目を集め ビーチバレーの魅力を全国に広めビーチバレー界に大きく貢献。2012年に行われたJBVアワードでは総合3位で表彰される。
    2013年は、川崎市長杯準優勝。東京国民体育大会で優勝を勝ち取り、インドネシアで開催されたアジアサーキットでは3位入賞を果たす。
    2014年、お台場大会2位、淡路大会3位、藤沢大会2位、ジャパンレディース3位。 11月に行われるアジアンビーチゲームズでは日本代表として出場する。

  • 取材 / 文:加藤いづみ

    コピーライター。東京都出身。成城大学文芸学部卒。広告、SP、WEBのコピーライティング、企画のほか、1996年より某企業のPR冊子(月刊)制作を継続して手がけている。
    https://www.facebook.com/mi.company

  • 撮影:萩庭桂太

    1966年東京生まれ。東京写真専門学校卒業後、フリーランス・カメラマンとして活動開始。
    雑誌、広告、CDジャケット、カレンダー、WEB、等幅広いメディアで活動中。
    ポートレート撮影を中心に仕事のジャンルは多岐にわたる。
    「写真家」ではなく「写真屋」、作家ではなく職人であることをポリシーとしている。
    雑誌は週刊文春など週刊誌のグラビア撮影を始め、幅広い世代の女性ファッション誌の表紙を撮影中。
    http://www.haginiwa.com/