[2]本物を理解させるには時間がかかる
長谷川達也
- Magazine ID: 1622
- Posted: 2014.09.02

仮設的にセットを組むため、広い稽古場の片隅で話を聴く。しかし彼がそのパイプ椅子に座るだけで、そこが場のメインになったかのような気がした。
「もともとは明星大学のダンスサークルでした。踊れる上手なメンバー、5人で、ヒップホップを踊りたくて始めたんです。1996年でした。ストリートダンスの登竜門である“ダンス・ディライト”で入賞したいという目標があって。自分たちが抜きん出るためには、独創性こそが最も重要だと思ったんです。だから他が選ばない選曲、構成、演出にこだわったんです」
当時のヒップ・ホップは活発に動いたり、ワルそうに踊ったりというのが主流だったそうだ。だから、長谷川はあえてそれを外した。
「世の中にある様々な表現の中で、何かに限定する必要なんてないと思った。だから映画、ゲーム、アニメーションなど、僕自身が好きな文化的要素を取り込みました。でも技術も追いつかなくて、なかなかすぐには認められなかったですね」
本物を理解させるのには時間がかかるのだ。念願のダンス・ディライト入賞を果たしたのは2007年。準優勝だった。
「ダンス界において異色とされていた僕たちが入賞できたのはすごく嬉しかったですし、優勝できなかった悔しさもありました。技術やルール、表現として文化として深く追求していくことはとても重要なことです。ただ、それがわかる人にしか伝わらないのは残念だから、より文化の価値を広めて行くには多くの人が面白いと思うものがいい、という気持ちはずっと変わらなく持っています」
共に頑張って来たメンバーで、脚本や映像の他、クリエイティブ・ディレクターでもある飯塚浩一郎は言う。
「長谷川は辞めなかったことがすごい」
18年前の初代からのメンバーは、宮川一彦、金田健宏の2人だけだ。
長谷川は大学卒業後、コンビニやレンタル・ビデオ店でバイトをしながらDAZZLEとしての活動をしていたという。
「念願叶って賞をもらっても、翌日からは普通にバイトで。ああ、昨日、あのでっかい舞台の華やかな照明の下にいたのに、今日は蛍光灯の下にいるんだな、と虚しい気持ちになりました(笑)」
長谷川は、からっと明るく笑い、顔を引き締めた。
「当時、プロのダンサーになるという選択肢は世の中的にはなかったです。職業として確立されていませんでしたし、ほとんどのダンサーはみな辞めていきました。僕自身も同じ道を辿ると思っていましたが、大会での入賞を果たしたとき、自分にとって最も人に誇れるダンスを辞めるのは違うと思った。そして自分の中に広がる世界に自信もあったから、表現を続けて行けば報われる瞬間は必ず来ると思っていました」
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長谷川達也
1977年千葉県生まれ。ダンス・カンパニー「DAZZLE」主宰、ダンサー、演出・振付家。SMAP、V6、TRF、Mr.Childrenらのアーティストのサポート・ダンサー、PV出演などを務め、その後、舞台作品の振付、出演など幅広く活動。ストリート・ダンス、コンテンポラリー・ダンスで受賞多数。演出を含め主演した舞台作品『花ト囮』2009年初演で演劇祭グリーンフェスタ グランプリ。その後、ルーマニアのシビウ国際演劇祭への招聘など、海外からも注目が集まっている。
『花ト囮』は、いよいよ9月6、7日の2日間、東京国際フォーラム・ホールCで公演される。
DAZZLE公式ホームページ http://www.dazzle-net.jp/ -
森 綾
1964年大阪生まれ。ラジオDJ、スポーツニッポン文化部記者、FM802編成部を経て、92年に上京、フリーランスに。雑誌、新聞を中心に発表した2000人以上のインタビュー歴をもち、構成したタレント本も多数。
自著には女性の生き方をテーマにしたものを中心に『キティの涙』(集英社)、『マルイチ』(マガジンハウス)、『大阪の女はえらい』(光文社知恵の森文庫)など多数。映画『ハンティングパーティー』のノベライズ、映画『音楽人』の原作WEB小説などノンフィクション、フィクションを問わず執筆する。
公式ホームページ http://moriaya.jimdo.com/ -
撮影:萩庭桂太
1966年東京生まれ。東京写真専門学校卒業後、フリーランス・カメラマンとして活動開始。
雑誌、広告、CDジャケット、カレンダー、WEB、等幅広いメディアで活動中。
ポートレート撮影を中心に仕事のジャンルは多岐にわたる。
「写真家」ではなく「写真屋」、作家ではなく職人であることをポリシーとしている。
雑誌は週刊文春など週刊誌のグラビア撮影を始め、幅広い世代の女性ファッション誌の表紙を撮影中。
http://www.haginiwa.com/