まったくの新人時代か。ブレイク寸前か。ブレイクの頂点なのか。

 もっと言えば、上り坂の途中にいるのか、下り坂なのか。どん底なのか……。

 インタビューというのは「その人のどのタイミングで会うのか」というのが、実はとても重要だと私は思う。

 ところがそのタイミングが、こちらがなんのメディアでいつどんなふうに伝えるかという都合に、また移り変わる。

 そちらのタイミングとこちらのタイミングがパチッとピンポイントで合う、というのは、ある意味奇跡的で、ある意味ジャズのセッションのようなものなのかもしれない。

 黒田卓也というトランぺッターについては、かねてから売り込みはあった。私自身、インタビューさせてもらいたいミュージシャンの1人でもあった。ホセ・ジェイムズのバンドでただ1人の日本人として活躍していて、まろやかで上品、的確な音が耳に残っていたから。

 しかし今回、そのタイミングはこんな風にやってきた。

「黒田卓也が、日本人で初めてUSブルーノートと契約しました。2月12日に『ライジング・サン』というアルバムが発売されます。YOUR EYES ONLYでご取材いかがですか」

 そんなにビッグになった人が、この出演料も出ないYOUR EYES ONLYで本当にいいのだろうか。

 ドキドキしながら会った黒田さんは「よろしくお願いします」と、関西弁のイントネーションでにっこりした。

 ブルーノートのアーティストになった実感はそろそろ出てきましたか、と話しかける。

「34歳にして新人。こんな僕のことを信じてくださったブルーノートに感謝するし、このことを誇りに思いますね。第三者が力を尽くしてくれるってアーティスト冥利に尽きます。2月に初めて日本でビルボードライブに出演したり、タワーレコードでインストアライブをやらせてもらったりして。自分のでっかい写真のポスターが張ってあるのを見たときは、おお!と思いました。まあ、ニューヨークに帰ったら、何も変わらなくて。相変わらず納豆かけてご飯食べてますけどね(笑)」

 2003年にニューヨークに渡って、11年目の快挙。ひとつずつ開かれていった扉を最初の最初から、話してもらおう。

  • 黒田卓也

    1980年兵庫県生まれ。甲南中学時代から同校のビッグバンドに所属。甲南大学を卒業後、2003年にニューヨークへ渡り、ニュースクール大学留学。卒業後、現地でバンド活動を続け、自主制作でアルバムを発表。共通の友人の紹介で現在ブルーノートのアーティストの1人であるホセ・ジェイムズと出会い、彼のバンドで演奏。今年2月、USブルーノートと日本人で初めて契約、アルバム『RISING SON』を発表した。オリジナル・バンドで登場した5月のビルボード東京講演はソールドアウト。今後の更なる飛躍が期待される。
    http://www.universal-music.co.jp/kuroda-takuya/
    http://www.takuyakuroda.com/

  • 取材・文:森 綾

    1964年大阪生まれ。ラジオDJ、スポーツニッポン文化部記者、FM802編成部を経て、92年に上京、フリーランスに。雑誌、新聞を中心に発表した2000人以上のインタビュー歴をもち、構成したタレント本多数。自著には女性の生き方をテーマにしたものが多く『キティの涙』(集英社)、『マルイチ』(マガジンハウス)、『大阪の女はえらい』(光文社知恵の森文庫)、映画『音楽人』の原作など。
    ブログ『森綾のおとなあやや日記』 http://blogs.yahoo.co.jp/dtjwy810

撮影:萩庭桂太