黒田卓也は兵庫県芦屋市の出身だ。彼の実家があるという山手あたりは、お金さえあれば住めるというところではない、由緒正しき高級住宅街である。甲南中学からジャズのビッグバンドに入ったのは、5つ年上の兄の影響だった。

「甲南の中高のビッグバンド部は全国大会で賞を取るくらいのレベルだったんです。兄貴はトロンボーンを吹いていて部長。仲が悪いわけじゃないんだけど、僕より体もでかくて、いつも斜め上を見上げるとそこにいる、というような存在でしたからね。最初、僕は女子にもてそうな運動部を巡っていたんですけど、兄貴の友人に見つかって、本当に首根っこつかまれてビッグバンド部へ連れて行かれました」

 入ってみると、ビッグバンド部は意外に楽しかった。

「顧問の先生もいるけど割と自由にやらせてくれて、上下関係もそんなに厳しくはなかった。だから、楽しいなと思えました。ただトランペットを吹けるようになるのは少し時間がかかりました。口惜しいから言わなかったんですけど(笑)。サックスの人は一週間くらいで曲吹けるようになるんですよね。負けず嫌いだから、やるとなったら、もう誰より早く部室へ行って、誰よりも遅くまで吹いてました。毎日もって帰ってもいた。修学旅行までもって行って、友達に『おまえにはついていかれへんわ』と言われたりしましたね(笑)」

 グレン・ミラーにカウント・ベイシー。黒田少年はジャズに夢中になっていく。

 高校3年生になると、神戸のジャズクラブでレギュラーで吹くほどになっていた。甲南大学に進むと、夏休みはアメリカ、バークリーの夏期講習に参加するようになる。

「それまでは自己流だったんです。でもバークリーに行って、目からウロコでした。自己流で覚えてきたことが、ああ、そういう理論に裏付けされてるのか!と。そこで音楽を学ぶ楽しみを知りました。それで、従兄弟がニューヨークに留学していたので、1カ月間、NYの音楽学校巡りとジャムセッション巡りをしたんです」

 マンハッタン・スクール・オブ・ミュージック。ジュリアード音楽学校。クィーンズ・カレッジ……。数ある音楽学校のなかで、彼にフィットしたのは、ニュースクールだった。

「中学のときにビッグバンド部に入ったのもそうだったけど、アットホームさ、みたいなものをニュースクールに感じたんですね。ジュリアードはもっと姿勢を正さないといけない、緊張する感じだったし。バークリーは何一つダメではないけど、日本人がたくさんいて、そこに自分が群れてしまうのではないかと思った。バークリーのあるボストンという環境も静か過ぎる感じがしました。ニューヨークはあらゆるところで音楽が演奏されていますから」

 ニューヨークしかない。さらにそう決意させる出来事が、そこに待っていた。

  • 黒田卓也

    1980年兵庫県生まれ。甲南中学時代から同校のビッグバンドに所属。甲南大学を卒業後、2003年にニューヨークへ渡り、ニュースクール大学留学。卒業後、現地でバンド活動を続け、自主制作でアルバムを発表。共通の友人の紹介で現在ブルーノートのアーティストの1人であるホセ・ジェイムズと出会い、彼のバンドで演奏。今年2月、USブルーノートと日本人で初めて契約、アルバム『RISING SON』を発表した。オリジナル・バンドで登場した5月のビルボード東京講演はソールドアウト。今後の更なる飛躍が期待される。
    http://www.universal-music.co.jp/kuroda-takuya/
    http://www.takuyakuroda.com/

  • 取材・文:森 綾

    1964年大阪生まれ。ラジオDJ、スポーツニッポン文化部記者、FM802編成部を経て、92年に上京、フリーランスに。雑誌、新聞を中心に発表した2000人以上のインタビュー歴をもち、構成したタレント本多数。自著には女性の生き方をテーマにしたものが多く『キティの涙』(集英社)、『マルイチ』(マガジンハウス)、『大阪の女はえらい』(光文社知恵の森文庫)、映画『音楽人』の原作など。
    ブログ『森綾のおとなあやや日記』 http://blogs.yahoo.co.jp/dtjwy810

撮影:萩庭桂太