20歳のときのニューヨーク。黒田さんはクレオパトラズ・ニードルというセッションのできるジャズクラブに初めてトランペットをもって行った。本来、セッション希望者はステージの奥のたまり場に集まる決まりになっていた。だが、そうとは知らなかった彼はステージの目の前の座席にでんと座り、堂々とタイミングを待った。

「ステージではまあまあなバンドが演奏してました。あ、これなら入れるかな、と耳で追っていた。そこへいきなり、どやどやと黒人の若いグループが5~6人で入ってきて、その曲が終わったとたん、ステージを乗っ取ったんです」

 そこから始まった音は彼を愕然とさせた。

「聴いたこともないアプローチ、すごい勢い。いやもう、エンジンが違う。僕が軽四の自動車やとしたら、彼らは2トントラックです。……いやもう、恥ずかしい話ですけど、僕は『おまえ出てこいや』と言われたらどうしようと思って、手にしていたトランペットを思わず隠してしまいました(笑)」

 黒田さんは思い直した。きっと有名なアーティストたちなんだろう。でも、名前を聞いてもわからない。おまけに年を聞くと、自分より年下だった。

「思い知らされましたねえ。天狗にはなってないつもりだったけど、もうなんか、ショックでした。こういうことが毎日行われているのが、ニューヨークなんや、と思った」

 その後、入学したニュースクールで、黒田さんはその彼らもそこの生徒達だったと知った。

「わっ、あいつらやー、と(笑)。今は彼ら、超有名になってますけどね……。でもあのことがなかったら、僕はここにいたかどうか、わかりません。だからこそ、頑張らないとと、エンジンかかったんです」

 おそらく彼は、ニュースクールで自らのエンジンをフルモデルチェンジしていったのだろう。

「卒業して1年、ニューヨークでの猶予をもらったんです。それで親は帰ってくると思ってたでしょうけど。何かちょっとずつ、ちょっとずつ、希望が見えてきた。少しずついい仕事がやって来たんですよね。だから僕は頑張れたんだと思います」

 運命的な出会いは、そのもう少し先にあった。

  • 黒田卓也

    1980年兵庫県生まれ。甲南中学時代から同校のビッグバンドに所属。甲南大学を卒業後、2003年にニューヨークへ渡り、ニュースクール大学留学。卒業後、現地でバンド活動を続け、自主制作でアルバムを発表。共通の友人の紹介で現在ブルーノートのアーティストの1人であるホセ・ジェイムズと出会い、彼のバンドで演奏。今年2月、USブルーノートと日本人で初めて契約、アルバム『RISING SON』を発表した。オリジナル・バンドで登場した5月のビルボード東京講演はソールドアウト。今後の更なる飛躍が期待される。
    http://www.universal-music.co.jp/kuroda-takuya/
    http://www.takuyakuroda.com/

  • 取材・文:森 綾

    1964年大阪生まれ。ラジオDJ、スポーツニッポン文化部記者、FM802編成部を経て、92年に上京、フリーランスに。雑誌、新聞を中心に発表した2000人以上のインタビュー歴をもち、構成したタレント本多数。自著には女性の生き方をテーマにしたものが多く『キティの涙』(集英社)、『マルイチ』(マガジンハウス)、『大阪の女はえらい』(光文社知恵の森文庫)、映画『音楽人』の原作など。
    ブログ『森綾のおとなあやや日記』 http://blogs.yahoo.co.jp/dtjwy810

撮影:萩庭桂太