ピアノ少女たちの夢
八神純子
- Magazine ID: 1564
- Posted: 2014.02.10
萩庭桂太が八神純子さんのシングルのジャケット写真を撮るらしい。……という噂を聞きつけた私は、なんとかYOUR EYES ONLYに出てもらえないものかとうるさく訴えた。
「まあ、時間があればやってくださるんじゃないの?」
「どうしてもインタビューしたいんです!」
何と言っても、憧れの八神純子さんである。
当時テレビで『コッキーポップ』を見ながら「なんてきれいな声だろう」とうっとりし、『ザ・ベストテン』で彼女が「みずいろの雨」を歌うのを見ながら必死に歌真似をした。
当時は音楽の先生までもが「先生、みずいろの雨やって~」と言われて「1回だけよ」と言いながら、弾き語ってくれたものだった。先生までが、密かにコピーしていたのであった。
それくらい、ピアノを弾く若い女性たちにとって、八神純子は憧れの存在であったのだ。
私はピアノが下手だったので「八神純子」の歌が歌いたくて、バンドまでつくった。
一方で、NHK-FMで『八神純子ライブ』を完全エアチェックし、カセットテープに吹き込んで、テープが伸びるほど聴いた。そのライブの進行役は後に古館伊知郎と『MJ』という番組に出ていた音楽ライターの吉見佑子さんだった。吉見さんは八神さんとため口で語り合っていた。「これはどんな気持ちで作ったの?」「色っぽいっていうか、コケティッシュっていう感じよね」などと。
……お、音楽ライターってなんてかっこエエの。
単純な私は「アナウンサーになれなかったら、音楽ライターになろう」と決めた。しかし27歳で音楽雑誌のライターを始めてから今日に至るまで、とてもため口でインタビューするなんていう自信はない。いつもびくびくである。
ましてやいよいよ本当に「八神純子」をインタビューすることができるなんて、足元がふわふわする気分であった。
私は、お守りのように彼女の復刻CDをバッグに入れ、撮影場所に向かったのだった。
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出演:八神純子
愛知県生まれ。1978年に「思い出は美しすぎて」でプロ・デビュー。同年、同タイトルのアルバムがオリコン5位になる。その後「みずいろの雨」などヒット曲を連発。86年に音楽プロデューサー、ジョン・スタンレー氏と結婚、2児の母となる。2010年頃から本格復帰の呼び声が高まり、11年にSHIBUYA-AXで10年ぶりのライブを行った。2月からNHK『みんなのうた』でオンエアされる「チョコと私」が2月26日(水)にリリースされ、3月30日(日)、31日(月)には東京・コットンクラブを皮切りに大阪、名古屋、横浜で後藤次利、松原正樹、村上秀一、佐藤準という錚々たるメンバーとライブハウスのツアーを再開する。
http://junkoyagami.com/ -
取材・文:森 綾
1964年大阪生まれ。ラジオDJ、スポーツニッポン文化部記者、FM802編成部を経て、92年に上京、フリーランスに。雑誌、新聞を中心に発表した2000人以上のインタビュー歴をもち、構成したタレント本多数。自著には女性の生き方をテーマにしたものが多く『キティの涙』(集英社)、『マルイチ』(マガジンハウス)、『大阪の女はえらい』(光文社知恵の森文庫)、映画『音楽人』の原作など。
ブログ『森綾のおとなあやや日記』 http://blogs.yahoo.co.jp/dtjwy810
撮影:萩庭桂太