大貫妙子さんのインタビューができるという話をもちかけてくれたのは、湘南つながりの友人たちだった。鶴田真由さんのときもそうであったが、私はかの地のウェブマガジンをもう3年も手伝っている縁があって、月に1~2度は鎌倉の「レンバイ」と呼ばれる市場あたりの店でうつつをぬかしている。

 その日も打ち合わせと称し、6人も入れば満員の小さな寿司屋に集い、友人たちに「大貫妙子伝説」を聞いた。なんでも大貫さんは葉山在住25年。秋田で米をつくったりもしておられるという。

「とても丁寧に生きておられる方なの」

 友人の1人は憧れを隠しきれない感じでそう言った。

 大貫妙子さんと言えば、私も憧れの存在である。彼女のメジャーでのスタートは1973年、山下達郎、村松邦男らと組んだ伝説のバンド、シュガー・ベイブだ。読者には詳しい人も多いと思うが、シュガー・ベイブには後に伊藤銀次も参加している(山下達郎と伊藤銀次はその後、大瀧詠一とのユニット、ナイアガラ・トライアングルを結成する)。

 つまり、日本のポップスの原点にいる人だということなのである。

 計算すると、そこから40年。大貫さんをよく知る友人はこんな風にも言った。

「でもことさら40周年を強調したいわけではなさそうなの」

 なるほど、そこも大貫さんらしいではないか。

 シンプルな歌詞を美しいメロディに乗せ、淡々と歌う。目をつぶると、そこに懐かしい映画のような絵が浮かぶ。……そんな風に、一曲一曲を歌ううちに、積み重なった40年という長い時間ができた。

 そんなふうに私は考えた。

 そしてまずは久々に、彼女の生の歌声を聴きにいくことになった。

  • 出演:大貫妙子

    1953年東京都生まれ。特攻隊だった父親をもつ家庭に育ち、1973年、山下達郎らとシュガー・ベイブを結成。76年からソロ活動を開始。多くのヒット曲を作詞作曲し、98年、映画『東京日和』で第21回日本アカデミー賞最優秀音楽賞受賞。音楽生活40周年となる今年は、10月末に新潮社からエッセイ『私の暮らしかた』を発売。11月には鎌倉、名古屋、大阪などでライブを行い、トリビュートアルバムも発売される。
    http://onukitaeko.jp

  • 取材・文:森 綾

    1964年大阪生まれ。ラジオDJ、スポーツニッポン文化部記者、FM802編成部を経て、92年に上京、フリーランスに。雑誌、新聞を中心に発表した2000人以上のインタビュー歴をもち、構成したタレント本多数。自著には女性の生き方をテーマにしたものが多く『キティの涙』(集英社)、『マルイチ』(マガジンハウス)、『大阪の女はえらい』(光文社知恵の森文庫)、映画『音楽人』の原作など。
    ブログ『森綾のおとなあやや日記』 http://blogs.yahoo.co.jp/dtjwy810

ヘアメイク:茂手山貴子 http://moteyama.com/
撮影:萩庭桂太