丁寧に生きる人
大貫妙子
- Magazine ID: 1545
- Posted: 2013.09.23
大貫妙子さんのインタビューができるという話をもちかけてくれたのは、湘南つながりの友人たちだった。鶴田真由さんのときもそうであったが、私はかの地のウェブマガジンをもう3年も手伝っている縁があって、月に1~2度は鎌倉の「レンバイ」と呼ばれる市場あたりの店でうつつをぬかしている。
その日も打ち合わせと称し、6人も入れば満員の小さな寿司屋に集い、友人たちに「大貫妙子伝説」を聞いた。なんでも大貫さんは葉山在住25年。秋田で米をつくったりもしておられるという。
「とても丁寧に生きておられる方なの」
友人の1人は憧れを隠しきれない感じでそう言った。
大貫妙子さんと言えば、私も憧れの存在である。彼女のメジャーでのスタートは1973年、山下達郎、村松邦男らと組んだ伝説のバンド、シュガー・ベイブだ。読者には詳しい人も多いと思うが、シュガー・ベイブには後に伊藤銀次も参加している(山下達郎と伊藤銀次はその後、大瀧詠一とのユニット、ナイアガラ・トライアングルを結成する)。
つまり、日本のポップスの原点にいる人だということなのである。
計算すると、そこから40年。大貫さんをよく知る友人はこんな風にも言った。
「でもことさら40周年を強調したいわけではなさそうなの」
なるほど、そこも大貫さんらしいではないか。
シンプルな歌詞を美しいメロディに乗せ、淡々と歌う。目をつぶると、そこに懐かしい映画のような絵が浮かぶ。……そんな風に、一曲一曲を歌ううちに、積み重なった40年という長い時間ができた。
そんなふうに私は考えた。
そしてまずは久々に、彼女の生の歌声を聴きにいくことになった。
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出演:大貫妙子
1953年東京都生まれ。特攻隊だった父親をもつ家庭に育ち、1973年、山下達郎らとシュガー・ベイブを結成。76年からソロ活動を開始。多くのヒット曲を作詞作曲し、98年、映画『東京日和』で第21回日本アカデミー賞最優秀音楽賞受賞。音楽生活40周年となる今年は、10月末に新潮社からエッセイ『私の暮らしかた』を発売。11月には鎌倉、名古屋、大阪などでライブを行い、トリビュートアルバムも発売される。
http://onukitaeko.jp -
取材・文:森 綾
1964年大阪生まれ。ラジオDJ、スポーツニッポン文化部記者、FM802編成部を経て、92年に上京、フリーランスに。雑誌、新聞を中心に発表した2000人以上のインタビュー歴をもち、構成したタレント本多数。自著には女性の生き方をテーマにしたものが多く『キティの涙』(集英社)、『マルイチ』(マガジンハウス)、『大阪の女はえらい』(光文社知恵の森文庫)、映画『音楽人』の原作など。
ブログ『森綾のおとなあやや日記』 http://blogs.yahoo.co.jp/dtjwy810
ヘアメイク:茂手山貴子 http://moteyama.com/
撮影:萩庭桂太