オペラやクラシックは、生でどんな演奏を聴くかで、好きになるかどうかが決まってしまうような気がする。そのとき演奏する人たちがどれくらい一生懸命かどうか。そこに表現されているものが胸に迫るかどうか。

 少しでも「かったるい」と感じてしまったら、それまで、である。

 私は幼稚園に入る前に、ピアノを習い始めた。まったく才能がない上に練習嫌いで、おまけに先生がぴしぴし手を叩くので、親が見かねて先生を変えた。二人目の先生はやさしいけれど、だからといって進歩するわけでもなかった。

 三番目の先生は音大入学請負人のような先生で、私にはまるで合わなかった。先生はいつも猫を抱いて、家でもロングドレスを着ていた。大型犬が家の中にいて、生徒が来るとまず匂いを嗅ぎに来た。独身で50代の先生はまるで恋人のように大型犬を愛おしんだ。名前はベラ。しかし、なぜそんな名前を……。

「この犬、ベラっていうんですか。『妖怪人間』に出てくる……」と尋ねると、先生は眉をひそめ、小さく咳払いをされた。そしておもむろにおっしゃった。

「……デラックスの、デラよ」。

 大阪の下町のそのような空間で、私はいつも緊張して気が重かった。なんだってうちの親は、そこまで無理をしてくれたのであろうか。しかしひとつだけ楽しみになったのが、いわゆる発表会で、声楽のおねえさんたちの歌を聴くことができることだった。

 力量は人それぞれだ。だが本当に、ごく何人か、はっとするほどうまいお姉さんたちがいた。体が、真ん中が筒状になったような楽器で、それが美しい形で空気を吸ったり吐いたりする。それが会場を震わせるうっとりするような音になるのである。

 オペラの歌曲など、まるでこの会場のどこかに恋人がいるのではないかと思うほど、せつなかった。

 なかでも、うどん屋さんのお嬢さんの歌が素晴らしかった。町の口はばったい大阪のおばちゃんたちは「不思議なもんやわ。誰に似たんやろ」とひそひそと話していた。

 いつものように前置きが長くなったが、今週ご紹介する、テノール歌手で役者の田代万里生さんは、母親はピアノ講師、父はテノール歌手という、相当なクラシック純粋種である。ちょっとやんちゃそうに髪を染めていても、品位というものが伝わってくる。

 この人の幼少期はどんな風だったのだろう。

  • 出演:田代万里生

    1984年長崎県生まれ、埼玉育ち。東京芸術大学音楽学部声楽科テノール専攻卒業。埼玉県立大宮光陵高校音楽科声楽専攻(テノール)卒業。ピアノ講師である母のもとで3歳からピアノを学び、いくつかの楽器を経て15歳から声楽の道へ。大学在学中に本格オペラデビューし、2007年にソリストグループ「ESCOLTA」(エスコルタ)でCDデビュー、定期的にコンサートを行っている。7月17日にはミニアルバム『ひとつの空』を発売。2009年からはミュージカルにも多数進出し、好評を得る。6月5~6日、Bunkamura オーチャードホールで開催される『ワイルドホーン・メロディーズ』にも出演する。
    公式ブログ http://ameblo.jp/mario-capriccio/

  • 取材・文:森 綾

    大阪市生まれ。スポニチ大阪文化部記者、FM802開局時の編成部員を経て、92年に上京後、現在に至るまで1500人以上の有名人のインタビューを手がける。自著には『マルイチ』(マガジンハウス)、『キティの涙』(集英社)(台湾版は『KITTY的眼涙』布克文化)など、女性の生き方についてのノンフィクション、エッセイが多い。タレント本のプロデュースも多く、ゲッターズ飯田の『ボーダーを着る女は95%モテない』『チョココロネが好きな女は95%エロい』(マガジンハウス)がヒット中。
    ブログ「森綾のおとなあやや日記」 http://blogs.yahoo.co.jp/dtjwy810

ヘアメイク:藤井康弘 http://www.yasumakeup.com/
撮影:萩庭桂太