さる秋晴れの10月15日。

 私は朝からわくわくしていた。ブルーノート東京のセンターボックスで、ジャズピアニストに転向した「大江千里」の演奏を聴くことになっていたからだ。こういうとき、ほとんどの女性がまず考えることは「何を着ていこうか」ということである。舞台から客席など、ほとんど見えないにもかかわらず。

 私は打ち合わせや原稿書きを終え、朝からおめかししていたのだが、ついふらふらと立ち寄った伊勢丹新宿で黒いワンピースを買って着替えてしまった。誰がなんと言おうと、ジャズクラブのセンターボックスといえばそれはもうリトルブラックドレスに真っ赤な口紅しかないであろう、と思い直したからだ。こんなことは一介の貧しいライターがやるべき所行ではないとも思った。しかし一生に一度や二度は、いや、三度くらいは、こんなばかげた楽しみ方があってもいいじゃないかと開き直ったのだ。

 同席したS社の編集者Fさん、人気ウェブ作家のN女史、ビジネス系作家のA女史もめかしこんでいた。やや化粧も濃い。おばはん同士のムダな火花がちかちかと線香花火のように散っている。

 みんないかにポップス時代の大江千里のファンであったかを語った。A女史はファンクラブにまで入っていたと語り始めた。

「球場のコンサートとかあったんですものね。歌も好きだったけど、ただちょっと思ったのは……」

 彼女は真顔で言った。

「この人、年とったらどうなるんだろう、と……」

 それは私もなんとなく思ったことがあった。初期の『ワラビーぬぎすてて』『十人十色』の頃の写真を見ていると、本当につるっつるの少年だったのである。

 私が初めて彼を見たのはまだ創刊前の『Olive』であった。いわゆるアイビールックを少し崩したプレッピースタイルに眼鏡の男の子は、関西学院大学在学中とあった。

 その後、お隣の神戸女学院大学に通うことになった私は、ある日、阪急電車で大江千里を見かけた。須磨浦公園行きの特急である。ダンガリーのシャツでCBSソニーの紙袋をもった人と話していた彼は普通の男の子に見えたが、その後、いくつもの伝説を聴いた。

 一番印象に残っているのは、あのテクニシャンの多い関学の軽音楽部で1年生なのに上級生とバンドを組んでコンサートに出た、という話だ。以来『六甲GIRL』を聴いても『塩屋』を聴いても、勝手に自分の甘酸っぱい体験と重ねあわせ、ついに大人になれないおばさん少女のまま生きてきてしまったのだ。

 しかしまあ、おばさん少女の中間決算が今日なら、不安定な人生だったけど、まいっか。センターボックスの座り心地を私はそんなふうに解釈していた。

 ブルーノートでのライブが始まった。トロンボーン、トランペット、ドラムス、ベース、ピアノ。オリジナルのメロディが際立つ、シンプルな構成。

 大江千里のピアノは一音一音を大事に伝えた。コード、というよりは心地よい音の組み合わせといったほうがいいような新鮮さがあった。その一曲一曲に、ジャズピアニストとして日本に凱旋公演している喜びが込められていた。

 歌のない曲なのに、詞が聴こえたような気がした。

  • 出演:大江千里

    1960年、大阪府生まれ。83年にシンガーソングライターとしてデビューし、『格好悪いふられ方』などの自身のヒット曲の他、松田聖子、渡辺美里らへの楽曲提供でも活躍。音楽活動のほか、役者、司会者、エッセイ執筆でも人気を博す。08年にジャズピアノを学ぶため単身渡米。ニューヨークで4年間の学生生活を終え、2012年、アルバム『boys mature slow』でジャズピアニストとしてデビュー。日本でもブルーノートでの公演を成功させた。

  • 取材・文:森 綾

    大阪市生まれ。スポニチ大阪文化部記者、FM802開局時の編成部員を経て、92年に上京後、現在に至るまで1500人以上の有名人のインタビューを手がける。自著には『マルイチ』(マガジンハウス)、『キティの涙』(集英社)(台湾版は『KITTY的眼涙』布克文化)など、女性の生き方についてのノンフィクション、エッセイが多い。タレント本のプロデュースも多く、ゲッターズ飯田の『ボーダーを着る女は95%モテない』『チョココロネが好きな女は95%エロい』(マガジンハウス)がヒット中。
    ブログ「森綾のおとなあやや日記」 http://blogs.yahoo.co.jp/dtjwy810

撮影:萩庭桂太