明治神宮から、千里さんがもと住んでいたという渋谷のマンションに移動し、そこで撮影し、最後はやはり彼がよく通ったという、近くのイタリアンレストランで話を聴いた。

 ワインが進むほどに、私はただの酔っぱらいになっていった。が、いくつかの話が記憶に残っている。

 そのひとつが、ポップスからジャズへと音楽の夢を叶えていく彼への中傷についてだった。確かにYouTubeなどにも厳しい書き込みがあったりする。でも彼はそれも静かに受け止め、冷静に分析していた。

「ぼくが日本のポップスの世界ではセールスをあげているアーティストだということが学校にも予めわかっていて、やや特別扱いされたこともあったんです。そういうこともあったし、いろいろ言う人がいるのは仕方がない。まだまだこれから、NYの本当のミュージシャンにあれこれ言われるようになったら本物なんじゃないかと思っています」

 自分の強みは楽曲を作ることができることだとも認識している。

「ぼくのフォルテは自分の曲を自分で演奏できるということ。だからしょうもない曲を書いてもしょうがない。みんなが立ち止まる曲を書けるかどうか。いろいろやってきて器用に見えるかもしれないけれど、4年半の学生生活でわかったことは、ぼくはひとつのことしかできないということ。じっくりやるタイプだということです。今、いろんなものをごっそり捨てちゃって、かえって本当に大事なこと、好きなことが、きらきら残った。今、これを手放しちゃいけないから、自分の居場所はここなんだと強く自分に言い聞かせながら、またNYのベースに戻りたいと思います。孤独にストイックに自分と向き合って、できることをひけらかさないで、その陰影をジャズとしてどれだけ表現できるかをつきつめたいんです」

 その覚悟を聴いて、また酔っぱらった。大阪の話。学生時代の話。吉本新喜劇が好きだという話。サービス精神旺盛な千里さんの話に私は笑い転げた。私の笑い声は大きいので、時々店で注意されるのだが、ダニエルはとても喜んでくれた。

「あなたの笑い声はいいサウンドだよ。ずっと笑い続けていてほしいくらいだ」

 初めてご飯を食べる私たちは、なぜか同窓会のように無邪気に盛り上がった。

 渋谷音楽祭本番は、後ろの方の客席で聴いた。

 千里さんとともにオーケストラはスウィングし、リハーサルとは全く違う一体感を醸し出した。音は渋谷公会堂を全部抱きしめた。

 終演後、満場の拍手に再登場した千里さんは、吉本新喜劇に出てくる誰かのように、右足を後ろに引いて、王子様お辞儀をした。

 私はあはは、と大きく笑って、ちょっと涙ぐんだ。

  • 出演:大江千里

    1960年、大阪府生まれ。83年にシンガーソングライターとしてデビューし、『格好悪いふられ方』などの自身のヒット曲の他、松田聖子、渡辺美里らへの楽曲提供でも活躍。音楽活動のほか、役者、司会者、エッセイ執筆でも人気を博す。08年にジャズピアノを学ぶため単身渡米。ニューヨークで4年間の学生生活を終え、2012年、アルバム『boys mature slow』でジャズピアニストとしてデビュー。日本でもブルーノートでの公演を成功させた。

  • 取材・文:森 綾

    大阪市生まれ。スポニチ大阪文化部記者、FM802開局時の編成部員を経て、92年に上京後、現在に至るまで1500人以上の有名人のインタビューを手がける。自著には『マルイチ』(マガジンハウス)、『キティの涙』(集英社)(台湾版は『KITTY的眼涙』布克文化)など、女性の生き方についてのノンフィクション、エッセイが多い。タレント本のプロデュースも多く、ゲッターズ飯田の『ボーダーを着る女は95%モテない』『チョココロネが好きな女は95%エロい』(マガジンハウス)がヒット中。
    ブログ「森綾のおとなあやや日記」 http://blogs.yahoo.co.jp/dtjwy810

撮影:萩庭桂太