澤田かおりは米ワシントン州、シアトル生まれ。しかし、その後すぐ日本へ。幼少時は東京の杉並で過ごした。

「3歳から目黒のヤマハ音楽院でピアノとエレクトーンを習い、10代では音楽大学附属高校へ通っていました。クラスメイトたちはみんなクラシックの音楽家を目指していて、実力もすごかった。かなわない、と思っていました」

 まさか自分が音楽の道へ進むとは、子どもの頃は考えてもいなかった。彼女を音楽の道へといざなったのは英語への憧れだったそうだ。

「私はシアトルの生まれで、アメリカ国籍をもっているにも関わらず、英語がまったく話せなくて、コンプレックスになっていました。それで、渡米を決めたんです。まずはニューヨークへ。そして、音楽を勉強し直すためにボストンの音楽大学に入学しました」

 彼女が選んだのはバークリー音楽院の作曲科。ジョン・メイヤー、ダイアナ・クラール、ブランフォード・マルサリスなども学んだアメリカの代表的な音楽学校に入ってしまうところが大胆だ。日本人では、小曽根真、山中千尋、上原ひろみなどが卒業している。

 しかし、最初は英語力が周囲に追いつかず、そのことが音楽に負荷をかけた。

「バンドを組むと、いつもクレームの集中砲火を浴びました。あなたの譜面では演奏できない! って。採譜は世界共通ですが、そこに書き加える英語のメモの文法や単語がでたらめで……。渡米したばかりの頃はSorry! ばかり言っていた気がします」

 そんな理由もあり寮生活を選んだ。

「日本人がいない生活環境を選んで、英語を身に付けたんです。ルームメイトはチャイニーズ系のアメリカ人。彼女にはすごく親切に英語を教えてもらった。今でも感謝しています」

 英語力の上達とともに、シンガーとしての自分に目覚める。

「最初は自分の曲をシンガー専門の友だちに歌ってもらっていました。でも、ちょっと待てよ……と。自分の作品は自分で歌ったほうが、そこに強い思いが宿ることに気づきました。作り手の思いは、技術とは別の大切なもの。必ず作品を輝かせてくれます」

 それからは、あらゆる場所で歌うように。

「学内のコンサートやライヴハウスはもちろん、レストランや結婚式場でも。機会をもらえれば、ニューヨークでも、コネチカットでも、どこにでも出かけて歌いました」

 10代から20代にかけて、耳の肥えたアメリカ東海岸のオーディエンスの前で歌うことで、シンガーとしてのスキルを上げていったのだ。

『I’m home.』

発売中(2014年1月18日発売)
CD 1,000円+税 HUCW-10510
https://www.youtube.com/watch?v=rvEhEVWi7oc

  • 澤田かおり

    1985年、米ワシントン州シアトルで生まれる。3歳からクラシックピアノ、エレクトーン、作曲をヤマハ音楽院学ぶ。桐朋女子高等学校作曲専攻卒業。2005年に渡米、ハーバード大学サマースクールEnglishプログラムを受講した後、マサチューセッツ州ボストンにある音楽の名門バークリー音楽院入学。09年に帰国。13年に音楽を手掛けた東芝「LED10年カレンダー」のCMが複数の広告賞を獲得する。12年にインディーズレーベルから、アルバム『PRISM』をリリース。13年にMISIAのデビュー15周年ツアーにコーラスで参加。14年は井上陽水の「氷の世界」ツアーにコーラスで参加。最新作は『I’m home.』(ハッツ・アンリミテッド 3曲入り¥1,000+税)。7月3日に東京・渋谷「shibuya gee-ge.」でライヴを行う。
    http://kaorisawada.com/

  • 取材・文:神舘和典

    1962年東京都出身。音楽を中心に書籍や雑誌のコラムを執筆。ミュージシャンのインタビューは年間約70本。コンサート取材は年間約80本。1998年~2000年はニューヨークを拠点にその当時生存したジャズミュージシャンをほぼインタビューした。『ジャズの鉄板50枚+α』『音楽ライターが、書けなかった話』(以上新潮新書)、『25人の偉大なジャズメンが語る名盤・名言・名演奏』(幻冬舎新書)、『上原ひろみ サマーレインの彼方』(幻冬舎文庫)など著書多数。

    新潮新書 http://www.shinchosha.co.jp/writer/1456/
    幻冬舎新書 http://www.gentosha.co.jp/book/b4920.html

ヘアメイク:西田裕美子 https://www.facebook.com/yumikonishida.deuce
撮影:萩庭桂太