小野リサの新作『ブラジル』は、彼女の“青春の音楽集”だ。

 ブラジルの首都、サンパウロで生まれ育った小野は10歳までブラジルで育った。

 10歳で東京に移ってからも音楽に包まれて過ごしてきた。

 そんな感受性豊かな時期に聴いていた音楽をカバーしているのだ。

 ジョアン・ジルベルトの歌唱でヒットした「喜びのサンバ」、セルジオ・メンデス&ブラジル’66のバージョンが世界的になった「マシュ・ケ・ナダ」、バーデン・パウエルの「ラピーニャ」、やはりジョアンのソングライティングによる「ビン・ボン」……などをレコーディングした。

  “ブラジル産”の小野のリスナー歴は、日本で生まれ育った日本人とは異なる。

 歌謡曲やアイドルやビートルズに夢中になる体験を持たずに、ブラジル音楽だけを愛して大人になった。そんな彼女の体に染み込んでいる楽曲ばかりを集めたのだ。

 今回曲をカバーしたアーティストの中で、小野にとって最も身近だったのは、バーデン・パウエルだろう。

 「悲しみのサンバ」を作り歌った巨匠である。

 小野の『ブラジル』には、作詞家のパウロ・セーザル・ミニョイとの作家チームによって生まれた「ラピーニャ」が収められている。

 そのバーデンのマネージャーを一時期小野の父親がやっていた。

「私がまだブラジルにいた頃、日本のレコード会社からバーデンにアルバム制作の依頼がありました。ところが、その時バーデンは別のブラジルのレコード会社とのレコード契約が2枚残っていた。そこで父がバーデンのお尻を叩いてすぐに2枚を作らせ、さらに日本のレコード会社とのレコードも完成させ、日本ツアーとヨーロッパツアーを実現させたのです」

 そのプロセスでバーデンと意気投合し、マネージャー契約を結ぶことになったという。

 小野はよく父親に連れられて、リオ・デ・ジャネイロにあったバーデンの家に遊びに行った。

「バーデンはよく、誰かと電話で会話をしながらソングライティングを行っていました。受話器を自分に向け、そこに向かって弾き語りする姿を今もよく憶えています。アフロのリズムを巧みに取り入れたメロディがとても印象的です」

 バーデンが作曲した「ラピーニャ」の舞台、ラピーニャとは、ブラジル北東部、バイーア州サルヴァドールにある貧民街。そこに伝説として伝わるビゾーロ・コルダゥン・ジ・オーロという格闘家に捧げた曲だという。

「アフリカの人たちがブラジルの最初にたどり着いた土地が、今のバイーア州あたりだそうです。だから、この地域には黒人が多くて、街の色合いもファッションも原色です。そして、そこに住む人たちはみんな行動も動作もゆっくり」

 ブラジルでは「北東部のやつらは自殺を決めたらココナッツの木を植えるところから始める」というブラックジョークがあるほどだ。

 そんなバイーア州からも世界的なミュージシャンが生まれている。

 アントニオ・カルロス・ジョビンやジョアン・ジルベルトの次世代で、現在も世界的に活躍しているカエターノ・ヴェローゾや、ジョビンやジョアンの上の世代のブラジル音楽を牽引したドリヴァル・カイミなどだ。

「ブラジルのミュージシャンたちは、超ゆっくりとしたリズムを“ドリヴァル・カイミのテンポ”と言っています。ブラジルではリズムは4段階あり、速いテンポ、ミディアム・テンポ、遅いテンポ、ドリヴァル・カイミのテンポと分けているくらい、ドリヴァル・カイミはいつもゆっくり動いていました」

 そのドリヴァルの息子、ドリ・カイミのヒット曲「オ・カンタドール」も、小野は今作でカバーしている。

 けだるい曲調からは高温多湿が感じられ、小野の言う原色の街を人々がゆっくりとした動きで歩く風景が見えてくるようだ。

『ブラジル』

発売中(2014年5月21日発売)
CD 3,000円+税 MUCD-1296
http://www.dreamusic.co.jp/artists/japanese/lisa-ono/mucd-1296.html

  • 小野リサ

    ボサ・ノヴァ・シンガー。ブラジルのサンパウロで生まれる。1989年にアルバム『カトピリ』でデビュー。『ナナン』『ミニーナ』『サウダージ』など質の高い作品をリリースしていく。2007年から10年にかけて“音楽の旅”というテーマで、ロック、ソウル、ジャズ、アジア音楽などをボサ・ノヴァのテイストにアレンジしたアルバムをリリース。その後、日本に目を向け『Japão(ジャポン)』『Japão2(ジャポン ドイス)』をリリース。最新アルバムは『ブラジル』(ドリーミュージック・¥3,000+税)。

    6月5日(木)「小野リサ ボサノヴァコンサート」東京・よみうり大手町ホール
    6月24日(火)~27日(金)「小野リサ“BRASIL” with special guest マリオ・アジネー」ブルーノート東京
    7月3日(木)・4日(金)「小野リサ ニューアルバム“BRAZIL”ツアー」名古屋ブルーノート
    7月20日(日)「小野リサ ボサノヴァ・ナイト」八ヶ岳高原ロッジ
    8月23日(土)「LISA ONO Heartfull Acousutick Live 2014 」横浜・関内ホール
    http://onolisa.com/

  • 取材・文:神舘和典

    1962年東京都出身。音楽を中心に書籍や雑誌のコラムを執筆。ミュージシャンのインタビューは年間約70本。コンサート取材は年間約80本。1998年~2000年はニューヨークを拠点にその当時生存したジャズミュージシャンをほぼインタビューした。『ジャズの鉄板50枚+α』『音楽ライターが、書けなかった話』(以上新潮新書)、『25人の偉大なジャズメンが語る名盤・名言・名演奏』(幻冬舎新書)、『上原ひろみ サマーレインの彼方』(幻冬舎文庫)など著書多数。

    新潮新書 http://www.shinchosha.co.jp/writer/1456/
    幻冬舎新書 http://www.gentosha.co.jp/book/b4920.html

撮影協力:ブルーノート東京 http://www.bluenote.co.jp/jp/
撮影:萩庭桂太