インタビューの日は、東京マラソンで彼女がランナー復帰した翌々日だった。

 そんなに走った後で大丈夫なんだろうか。とちょっと不安になったが、外苑前にあるロイヤルガーデンカフェで会った彼女は、一昨日もここでランチしていたかのような、穏やかな様子。わずかな疲労の色も見えなかった。

 彼女がゴールする写真を撮りにいった萩庭桂太は、あきれたかのように言った。

「バンザーイ、ってゴールして、ふらふらふらっと倒れるかなと待っていたんだけど、理恵さん、全然平気でさ。腕時計をちらっと見て『あー、こんなもんか』って顔をして、走り抜けていったんだよね」

 それを聞いて、理恵さんはくすくす笑った。

「ええ、まあ、タイムを見て、いいペースだったかなと」

 3時間31分26秒。

 だいたい、1キロを5分で走るのだという。運動音痴の私にとってはもはや驚異的である。

 しかも、子どもを産んで1年数カ月での復帰だ。

「確かに、身体の中身が変わってしまっていて、骨盤が緩んでいるので、前の走り方ができなかったんです。5カ月前に走ろうと決めたときには、10キロも走れなかった。昔のように自由に時間をとれませんし、無理かもしれないと思ったんです。でも、走ることができる距離が5キロずつ増えていきました。15キロ、20キロ……。次は25キロだというときは、突然23キロくらいで身体が重くて動かなくなったり。42.195キロという距離への不安はずっとありました」

 結局、そういう不安は走り切ることでしか解消されないのだろう。彼女は石垣島ハーフマラソンに出場した。

「がんがん攻めて走った。1時間41分で、年代別で2位になれました。でもフルマラソンはその倍の時間で、というわけにはいきません。帰ってきて、とにかく30キロ走るというのを何本もやりました」

 40キロ越えができたのは、東京マラソンの直前だった。

「タイムよりも、自分が心身ともにつぶれなかったことがうれしい。伴走なしに自分の意志でペースをつくって、走れたことが」

 その微笑みには、2000年の彼女にも、2010年の彼女にもなかった、花のつぼみが開くような優しさが漂っていた。

  • 長谷川理恵

    1973年12月1日神奈川県生まれ。93年、「Can Cam」(小学館)に読者モデルとして初登場し、その後、ファッション誌の人気モデルとして活躍。2000年にテレビ番組の企画でホノルルマラソンに参加以降、数々の大会に出場。その後、野菜ソムリエの資格を取得。走ることとチャリティーを結ぶ活動にも積極的で、インターネットで寄附を募る団体「ジャスト・ギビング・ジャパン」を通して「Smile & Run」チャリティープロジェクトを立ち上げる。12年10月末に第一子を出産。親子で運動できる「バギーラン・バギーエクササイズ」のインストラクター資格も取得。14年2月23日の東京マラソンで、チャリティーランナーとして、産後初のフルマラソンを3時間31分26秒の好タイムで完走した。
    公式ブログ『リエゴト』http://ameblo.jp/hasegawarie/

  • 取材・文:森 綾

    1964年大阪生まれ。ラジオDJ、スポーツニッポン文化部記者、FM802編成部を経て、92年に上京、フリーランスに。雑誌、新聞を中心に発表した2000人以上のインタビュー歴をもち、構成したタレント本多数。自著には女性の生き方をテーマにしたものが多く『キティの涙』(集英社)、『マルイチ』(マガジンハウス)、『大阪の女はえらい』(光文社知恵の森文庫)、映画『音楽人』の原作など。
    ブログ『森綾のおとなあやや日記』 http://blogs.yahoo.co.jp/dtjwy810

    ヘアメイク:浩平(HEADS)
    撮影:萩庭桂太