「歌のプロモーションとして歌番組以外にも、バラエティ番組に何度か出演しました。どうやって結婚して、どうして離婚した、という話をしなければいけないこともあり、でもカッコイイ話でもないので話すのが難しかったです。

 バラエティ番組は1回出るだけでも大変なことなのに、初めて出た番組が『踊る!さんま御殿!!』だったんです。でもいざ出ていくと、当たり前ですが誰も助けてくれません。戦場のような収録現場で、すごく緊張しましたね、だってさんまさんですよ。自分の話を笑いに変えたり、相手を傷つけないようなトークが出来ていれば、バラエティ番組でも何かの爪痕を残せたのかなあって思います。当時は上手く立ち回れず、次にも繋がりませんでした。」

 ところが、バラエティ番組に出演という一見華やかなタレント活動に並行して歌手としてのプロモーション活動は華やかとは程遠い過酷なものだったそうだ。

「一昔前、演歌歌手の方が全国のスナックを一軒一軒廻って、歌いながらレコードを手売りするっていうことをしていましたよね。それの現代バージョンをやろうってことになりました。それで全国のキャバクラに歌いに行かせていただきました。そこでお客さんにCDを手売りするんです。それが精神的に過酷でした。

 連日連夜キャバクラを一日2軒くらいはしごしました。でも誰だかわからない女の子が『一曲歌わせて下さい』っていきなり来て言うわけです。お客さんが女の子と会話を楽しんでいるところに入っていくのでアウェイ感満載。歌い終わったら、各テーブルに挨拶に回って、一緒に写真撮って、サインして、CDを売って歩くんです。私のCDはおつりがないように一枚千円でした。気前のいいお客さんもいましたけど、お酒の入っている席なので、いろいろ大変なこともありました。

 2年間でシングルを6枚、アルバム1枚出しましたけど、その度に全国プロモーションに行っていました。心が折れそうになったけど『こういう地道なプロモーションは必要だし、自分のCDが目の前で売れるのが見られるなんて貴重なんだよ』って言われました。確かに1枚のCDを売るということの重みはわかりました。こんな大変なんだって有難さがわかりました。今ではとても貴重な経験をさせていただいたと思っています。なにより自分が強くなれましたから」

 まるで昭和時代の演歌歌手並みドサマワリ、過酷! まだまだ続く!

取材・文:横田一郎
撮影:萩庭桂太